【日本型福祉社会論】
 70年代を悔やむ 2012.1.24 / 追伸2012.5.3





 『朝日新聞』が今年(2012年)110日の朝刊に載せた「70年代を悔やむ」という記事が興味深かった(主筆・若宮啓文)。私も70年代半ばが日本の政策の大きな転換点だったと思う。こんなことを言っても始まらないが、70年代の政策転換がもっと別のものだったらと思えてならない。


所得倍増計画 1960

 高度経済成長を牽引した196011月の経済審議会「国民所得倍増計画」は、社会保障について次のように書いていた。

・社会保障を重視することが自由競争を原理とする経済成長を可能にする。
・社会保障は経済成長を最大にする原動力である。
・社会保障のもつ経済効果は、減税のもつ漠然たる生産意欲、蓄積意欲の刺激などよりはむしろ勝る。

 「福祉国家への道」と題する特集を組んだ1960年版『厚生白書』も、国家の積極的な経済政策と社会保障政策によって、「自由経済の体制を尊重しつつ、貧困を追放することこそ、人間の自由と平等を名実ともに保障するゆえん」であり、このことが「国家に課せられた新しい務責(ママ)である」と書く。
 高度経済成長期、社会保障は経済成長の「原動力」であり、社会保障制度の拡充による「福祉国家」の建設こそが、自由主義経済体制の発展を保障すると考えられていたのである。
 そのため、国は社会保障制度の整備を進める。今日の社会保障制度のほとんどが60年代から70年代はじめまでに形づくられたものである。73年には老人医療の無償化が実現し、「福祉元年」と言われた。

 1960年 医療保険制度
 1961年 国民年金制度
     生別母子家庭を対象とする児童扶養手当制度
 1964年 障害児を養育する家庭に対する特別児童扶養手当制度
 1971年 児童手当


日本型福祉社会論 1979

 それが、1979年の経済企画庁「新経済社会7カ年計画」ではまったく別のものになる。

・日本は欧米先進国へのキャッチ・アップを完了し、社会保障制度も欧米諸国と遜色のない水準に達している。
・公共部門が肥大化して経済社会の非効率をもたらすおそれがある。
・個人の自助努力と家庭及び社会の連携の基礎のうえに適正な公的福祉を形成する。

 オイルショックやドルショックがあったとはいえ、社会保障に対して、これほど評価を一転させるとは。西欧の福祉制度はもはやめざすべきものではなくなり、福祉国家の建設は「元年」で終わった。かわって「日本型」が称揚され、日本型福祉社会がめざされるようになった。
 70年代半ばから末までの間に、政策担当者の間でいったい何があったのか。『朝日新聞』が言うように、「日本の自殺」(『文芸春秋』752月号)を書いた香山健一らのグループが自民党や官僚に大きな影響を与えたのだろうが、それにしてもあまりに大きな転換。

 日本型福祉社会論は80年代に入って実現に向かう。臨調・行革の土光敏夫氏がもてはやされ、福祉国家はもはや時代遅れの空論であるかのように見なされた。日本型福祉社会論を批判する研究者も少なくなかったはずだが、80年代という時代の雰囲気の中で、ほとんどかき消されてしまったのだろう。
 かくして、とりわけ子ども・若者にかかわる福祉・教育予算が削られつづけてきた。大学の学費は上がり続け、奨学金がローンになって利子がつき、私学助成は減り、母子家庭への児童扶養手当は所得制限が強化され、他方で、高額所得者の減税が進められる


自民党「日本再興」 2011

 こうした70年代末以来の政策が、今問われている。民主党政権は、それを一定程度修正しようとしているのだろう。では、自民党はどうか。
 自民党国家戦略本部が20117月に出した中長期戦略「日本再興」第6分科会(教育)の報告書には次のような一文がある。

教育の重要性は認識しつつも、基本的に児童・学生の減少を反映して、現実の教育予算は、減少の一途をたどってきた。公財政教育支出をOECD並に引き上げることを目標にすべきである。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/112141.html

 不思議な文章だと思う。「教育の重要性は認識しつつも」という文の主語は自民党政権のことだろう。つまり、自民党は教育の重要性を認識していたのだが、子どもの数が減ったので教育予算が減ってしまい、OECDに比べて教育に関する公財政教育支出が少なくなってしまった、というのである。
 ともあれ、いまや自民党も教育予算の大幅な増額を求めている。日本型福祉社会論からの転換のようにも見える。だが、教育予算が減ったのは、自民党の政策によるものではなくて、子どもが減ったからであるという自民党に、70年代を悔やむ気配はない。  2012.1.24


【追伸】「予言の書『日本の自殺』再考」

 若宮啓文の記事を最も歓迎したのは、1975年に「日本の自殺」を掲載した『文芸春秋』だったのかもしれない。同誌は20123月号に、「朝日新聞主筆が瞠目した衝撃論文」と称して、75年の「日本の自殺」を抄録した。『文芸春秋』は、再録に際して次のように書いている。

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1975年、小誌にある論文が掲載された。それは、高度経済成長を遂げ、反映を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘を鳴らすものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が110日付けの一面で、この論文に注目し、『日本の自殺』がかつてなく現実味を帯びて感じられる」と記した。今なお『予言』の響きを失わない論文をここに再掲載する。(94頁)
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 そうか、そういう受け止め方もあるのかと、この文を読んで「感心」してしまった。『文芸春秋』の上記の文は、私には意図的なミスリーディングのように思える。
 ともあれ、抄録の「日本の自殺」を読んでみた。正直言って、とてもがっかりした。それは、私が勝手に誤解していたからだろう。若宮記事を読んで、「日本の自殺」は福祉国家を理論的に批判した「論文」だと思っていたのだから。
 ところが、「日本の自殺」は、福祉国家をテーマにしたものではなく、何かを検証する「論文」でもなかった。「文明論」ではあるのかもしれないが。なので、『文芸春秋』の編集者の言うように、「予言の書」がふさわしいのかもしれない。しかも、なぜか女と子どもばかりに文明没落の原因を帰す「予言の書」。「日本の自殺」は、女・子どもへの不満とお説教で満ちあふれている。
 はたして、こんな「予言の書」=道徳論が、70年代半ばの政策転換をもたらしたのか!? 
 がっかりしたのは、「日本の自殺」の内容以上に、そのことだった。  
2012.5.3


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(座標軸)70年代を悔やむ 失速と政争、借金国家の幕開け 主筆・若宮啓文
  朝日新聞 20120110日朝刊


 財政が瀬戸際だ。貧富の差も、世代間の格差も広がる。深刻な原発事故も起きてしまった。「こんなはずではなかった」と考えるとき、大きな曲がり角だった1970年代を思い起こす。くしくも70年に記者となった私の自戒も込め、その教訓と明日への視点を考えたい。

 日本の70年代は大阪の万国博覧会で幕をあけた。世界2位の経済大国になって2年。人口は1億を超え、団塊ジュニア誕生の第2次ベビーブームに向かう。国民意識は「一億総中流」時代を迎えつつあった。
 佐藤栄作首相の後をめぐる自民党の激戦を制して登場した田中角栄首相は、日本列島改造論をかかげて73年度に公共事業を急増。「福祉元年」の看板で社会保障費も大きく伸ばした。老人医療の無料化や西欧並みの年金水準。それでも「理想には遠い」とし、「経済成長の成果はすべての階層に」と意気込んだ。「反自民」の革新自治体が先んじた福祉政策を追うものでもあった。

 ところがその秋に第4次中東戦争がおこり、原油価格の暴騰という第1次石油ショックに襲われた。翌年には「狂乱物価」やトイレットペーパー買いだめなどのパニックも。田中首相は金権問題で退き、三木武夫政権に移った。74年度に戦後初のマイナス成長を記録、税収は大きく落ち込むが、予算は縮まらない。公共事業でふくらむ建設国債に加えて、戦後初の本格的な赤字国債の発行に踏み切るのは75年度だった。
 赤字国債が麻薬のようにならないかと案じた大平正芳蔵相は後に首相として一般消費税を提唱。総選挙で敗れて激しい四十日抗争の末、内紛が尾を引いて80年に内閣不信任案が可決、衆参同日選挙のなか急死に至る。消費税の新設はその9年後になるが、いまに至る異様な国債依存はさながら麻薬中毒のようだ。
 経済の陰りで田中路線の福祉は続かず、やがて鈴木善幸、中曽根康弘両政権の行政改革で縮小されるが、それを準備したのが79年に大平内閣が出した「日本型福祉社会」論。家庭こそ福祉の基盤との考えだった。ブレーンのひとりは香山健一氏。福祉国家は人間の自律精神を奪うと批判した文芸春秋752月号の「日本の自殺」=キーワード=の中心筆者だ。

 そんな保守の思想は自民党が刊行した「日本型福祉社会」(79年)に鮮烈だ。高福祉・高負担の北欧型を「愚行」と酷評。北欧に多い未婚の母など論外との前提で、(1)母子家庭の手厚い保護は離婚誘発のおそれがあり注意すべき(2)老人の世話は子どもの家庭が責任をもち、公的サービスは例外の事情に限る――など、いま読めば驚くような中身だった。

 ●家庭に頼る日本型福祉、甘く見た少子高齢化

 石油ショック後も政治が甘く見たのは激しい少子高齢化だった。寿命は延び続ける一方、出生数は73年を境に急減、出生率も70年代半ばから「2」をどんどん下回り、将来の人口減が確実になっていた。
 路線を正すなら、家庭の美風に頼るより、むしろ「中福祉・中負担」を鮮明にして負担増を求める道があっただろう。大平首相は導入に失敗した一般消費税について「財政ではなく、社会保障のためだと訴えればよかった」と側近に悔やんだが、あとの祭りだった。

 そもそも家庭による福祉には限界があった。核家族化や女性の社会進出が進む。長寿で重い認知症や寝たきり老人が増え、子も年をとる。こうして2000年にドイツをモデルとした介護保険制度が始まった。
 日本型福祉は安定した雇用に頼ってもいた。79年の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でハーバード大のエズラ・ボーゲル教授がたたえたように、終身雇用や年功序列が日本企業の特色だったが、90年代以後のグローバリゼーションや新自由主義の影響などで大きく揺らぎ始める。非正規社員が増え、とくに若い世代が脅かされていった。
 「反貧困ネットワーク」事務局長の湯浅誠氏もその視点から現代の貧困問題をとらえ、70年代の選択を惜しんでいる。「日本型福祉には現役世代の社会保障がなく、子育て、教育、住宅ローンを支えたのは企業だった。それが崩れたとき自己責任論で片づけられてはたまらない」

 あの時代、変わる家庭のあり方も企業頼みの弱点もよく考えず、ただ北欧型を切り捨てたのは残念だが、恐れを甘く見た原発の推進にも似た側面があったのではないか。
 大阪万博の開幕日に運転を始めて会場に送電した日本原電の敦賀原発を皮切りに、このころ次々と原発が運転を始めた。それに拍車をかけたのが石油ショック。地元に補助金を落とす電源三法も、原発への抵抗を和らげる目的で生まれた。
 対照的な国が北欧にある。日本からデンマークに渡って国籍をとり、「風のがっこう」を営んだケンジ・ステファン・スズキ氏によると、石油ショックを機に原発6基の建設計画が作られたが、市民らが待ったをかけた末、風力発電の推進を国策にしてしまう。経済規模も事情も違ったにせよ、自然エネルギーに目を向けない日本とは大違いだった。

 ●若い世代を政治が支えよ

 さて、いまの政治が教訓とすべきは何だろう。小粒になったリーダーに比べ、70年代は福田赳夫氏も加えてそうそうたる派閥の長が次々に首相となったのに、時代のかじ取りは難しかった。右肩上がりの成功体験が災いしたのかも知れない。
 田中・福田の「角福戦争」に始まり、ロッキード事件で収賄罪に問われた田中元首相が「闇将軍」となり「三木おろし」や四十日抗争などに明け暮れたのも痛い。野党はせっかく実現した伯仲国会の果実を減税に求めるばかりだった。あの時代が危機の入り口なら、いまは危機の瀬戸際だ。明日の社会を考える上で、とりわけ次のことが大事である。

 1、財政再建への道筋をえがき、社会保障の設計も作り直す
 2、子育て世代を支援し、貧富や世代の格差の是正もはかる
 3、新エネルギーの開発によって脱原発を推し進める
 4、経済を活性化させる

 これらは絡み合っている。例えば「デフレの正体」で藻谷浩介氏が描いたように、お金のかかる子育て世代の減少が消費を冷やす大きな要因なのだから、彼らの雇用を安定させ給与を増やすのが経済の活性化に直結し、少子化対策にもなる。
 正規雇用をふやす。非正規雇用でも同じ労働には同じ待遇を与える。賃金体系を子育て世代に厚く組み替える。その分、企業の内部留保や株主配当を削り、子育てが終わった社員にも少し我慢してもらう。女性が不利にならぬ配慮も大切だ。思い切って経済界が取り組むよう政治が手助けするのだ。
 千葉大の広井良典教授の言うように「人生前半にこそ社会保障を」という大胆な発想も参考になる。ますます財政を圧迫する高齢者医療のあり方などは見直すときだ。
 財政、社会保障、雇用など世代間の格差是正を考える動きは、一橋大の小黒一正准教授など、まさに70年代生まれを中心に盛んになってきたが、政治家の目はどうしても有権者に多い高齢者に向いてしまう。
 だから、独立機関の「世代間公平委員会」を設けるとか、選挙年齢の引き下げに加えて子どもの分だけ親に投票権を与えよう、といったアイデアもある。世代間の対立をあおらずに若い世代をどう元気づけ、社会の活性化を促すか。政治も社会もまじめに考えなければなるまい。

 原発にも一言。原子の灯が送られた万博会場を圧倒したのは、異色の天才画家、岡本太郎氏による「太陽の塔」だった。「最先端の科学や技術を競う万博で、あえて太陽を掲げた反骨と先見性に驚く」と、親交があった哲学者の梅原猛氏は言う。
 例えばいま、東北大の齋藤武雄名誉教授らが高効率の太陽熱発電の実用化に取り組んでいる。かつて省エネ技術で世界をリードしたように、新エネルギーで経済も打開したい。70年代の教訓はここにもある。


 <論文「日本の自殺」の要旨>

 日本は古代ギリシャやローマ帝国が欲望の肥大化による退廃で崩壊したのと同じ道を歩んでいる。国鉄(現JR)労組の荒廃、母親の子捨てや子殺し多発はその予兆だ。人気とりの福祉や減税競争は赤字を増やし、人間の自律精神を失わせる。豊かさの代償は資源枯渇と環境破壊、使い捨ての生活様式、判断力の衰弱など。権利の主張と悪平等をイデオロギーとする疑似民主主義は衆愚政治を招く。歴史に学んでエゴを自制し、自立の精神を育て、大衆迎合から決別しなければならない。


1970年 大阪万博が開かれ、敦賀原発が送電
  71年 福島第一原発が運転開始
      ニクソン・ショックで1ドル360円時代に終止符
  72年 沖縄返還、日中国交正常化
  73年 田中内閣が「福祉元年」、第1次石油ショック
      第2次ベビーブームがピークに
      国民生活世論調査で9割が「中流」に
  74年 電源3法成立、狂乱物価
  75年 文芸春秋に「日本の自殺」、赤字国債を発行
  76年 ロッキード事件で田中前首相逮捕
      衆院選で初の与野党伯仲に
  79年 第2次石油ショック
      大平内閣が「日本型福祉社会」
      「ジャパン・アズ・ナンバーワン」刊行
      初の東京サミット開催
      「一般消費税」挫折、自民党40日抗争
      米スリーマイル島で原発事故