【児童虐待9
 大阪事件と寝屋川事件の裁判
 厳罰化の行方  2012.3.28





虐待をめぐる2つの判決

 最近、虐待に関する重大な判決が2件出された。

〔大阪事件〕2012316日大阪地裁判決(資料123
ネグレクトによって3歳と1歳の2人の幼児を死亡させた母親に、懲役30年(求刑・無期懲役)

〔寝屋川事件〕2012321日大阪地裁判決(資料45
18ヶ月の子に暴行を加えて死亡させた父母に、求刑(懲役10年)を上回る懲役15

 どちらもかつてなく重く厳しい判決である。だが、ネット上に流れる意見の多くは、これでもまだ甘いと言う。中には、「即、死刑」などと暴言をはく人もいる。
 なので、虐待事件は本当に気が重くなる。事件の痛ましさに気が滅入るだけではない。人々の間に湧き上がる憎悪の感情や糾弾の声に、気が重くなる。

 児童虐待が社会問題になるのは1990年代。だが、それ以前の方が、今よりはるかに多くの子どもが親によって捨てられ、殺されており、当時も「鬼の母」だとか、「母性喪失」だとか、母親を非難する声が噴出した。しかし、少なくとも新聞では、子どもを殺した親の境遇や状況を調べ、その背景にある社会の要因を探ることに分析の主眼が置かれていたと思う。
 ところが、今日、親の生育歴や境遇はほとんど報じられなくなった。社会の要因を主張する声もとても小さくなった。せいぜい家族の孤立=地域の絆の弱まりといった空疎でワンパターンな指摘が繰り返されるにすぎない。

 その結果、今日の新聞は、子どもを虐待した親に憎悪を募らせる世論と大差ないものになってしまったように思う。私が見る限り、上記の判決に対して批判的な見解を載せたのは、毎日新聞だけだった(資料5)。
 裁判も同様ではないか。もっとも、裁判員裁判というのは、そもそも、そういうものなのだろうが。結果、親に対する刑罰は格段に厳しくなった。


巣鴨事件1988

 どれほど厳しくなったのか。1988年の「巣鴨置き去り事件」と比べてみよう。この事件が社会に与えた衝撃は、多分、今回の大阪事件や寝屋川事件より大きかったのではないかと思う。まさかこんなことが起こるなんて、という衝撃を社会に与えた事件だった。

 この事件の母親(40歳)は複数の男性との間に6人の子を設けたが、1人を養子に出す。また、1人(次男)は乳児期に死亡し、事件発覚後、マンションから遺体で発見される。
 母は残る14歳、5歳、3歳、2歳の4人を置き去りにして、事件が発覚するまでの約半年間、愛人の元にいて家に帰らず。その間に、2歳の3女が長男(14歳)の友人に殺害される。子どもは5人とも出生届が出されておらず、長男は学校にも行っていなかった(詳しくは「児童虐待5」のページ)。

 この事件は、今日であれば、ネグレクトの典型とみなされるだろう。だが、虐待が社会問題になる前夜にあって、これは虐待問題ではなく、「置き去り事件」だった。そのためだろう。この事件で母親は保護者遺棄、同致傷の罪に問われたが、判決は懲役3年、執行猶予4年に過ぎなかった(求刑懲役3年)。
 東京地裁の裁判官は、その理由について、「親の責任を放棄した罪は重いが、同棲相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」と語る(資料6)。「自力更生」の可能性が重視されたのである。


厳罰化の論理

 このように、巣鴨事件では結果的に2人の子どもが死亡しているが、執行猶予つきの判決が出された。それに対し、大阪事件は懲役30年。寝屋川事件は懲役15年。巣鴨事件は親が直接子を殺害したわけではないとしても(少なくとも1人は)、あまりに量刑が違う。

 ではなぜ今日、こうした厳罰化が正当化されるのか。それは一つには、今日の裁判が、「犯行の残酷さ、結果の重大性を何よりも重視すべきだ」という方針・理念に基づいているからである(資料12)。つまり、犯行に至る事情や背景、加害者の境遇、社会環境、更生の可能性などよりも、「犯行の残酷さ、結果の重大性」を重視して刑を判断するということである。

 確かに、これは量刑に関する一つの考え方ではある。だが、社会的背景や環境を重視しないこうした方針は、社会の責任を等閑視して、親にのみ責任を負わせることになる。その結果、福祉制度のあり方など、様々な社会の問題が究明されず、放置されてしまう。
 また、「犯行の残酷さ、結果の重大性」の認識は、それほど客観的・普遍的なものではなく、時代や世論の変化とともに大きく変わる。現在は「残酷さ」や「重大性」に対する基準が、かつてなく厳しい時代である。
 しかも、これまでのような社会背景や生育歴、更生の可能性等への配慮がない分、厳罰化に歯止めがきかなくなってしまう。有期刑の上限30年という判決は、このことを表しているだろう。
 
 厳罰化が正当化されるもう一つの理由は、虐待に対する社会の処罰感情の高まりが前提にあるからである。大阪事件の裁判では、「児童虐待は増加の一途をたどり、予防の見地も無視できない」と指摘されている(資料1)。また、寝屋川事件の裁判長は、「児童虐待は大きな社会問題で今まで以上に厳しい刑罰を科すべきだ」「子どもの命の尊重を求める声が高まっている社会情勢を考えると、今まで以上に厳しい罰が適合する」と述べたという(資料4)。
 つまり、大阪事件の懲役30年と寝屋川事件の懲役15年には、虐待の「社会問題」化や「社会情勢」が生み出した量刑が上乗せされている。そればかりか、「予防」のための刑罰も付け加えられているのである。


厳罰化の行方

 1988年の巣鴨事件の執行猶予と2010年の大阪事件の懲役30年。この20数年の間に、虐待に対する人々の見方は大きく変化した。
 巣鴨事件は、当時、あり得ない事件として受け止められていたものと思われる。この事件で3女を殺害した長男の友人の附添人を担当した児玉勇二弁護士も、巣鴨事件を「特異な事件」と見ていたと述べている*。
 だからこそ、この事件は社会に大きな衝撃を与え、興味本位な人々の耳目を集めることになった。そしてまた、その特異さゆえに、寛容な判決・処分が可能だったのではないかと思われる。

 だが、今日の虐待事件はそうはいかない。大阪事件も寝屋川事件も、もはや特異な事件ではなく、時代を象徴する事件と見なされている。だからこそ、かつてなく厳しい刑罰が加えられるのだろう。あたかも見せしめのように。
 寝屋川事件を担当した一人の裁判員は次のように述べたとされる。「親にしかすがれない子供を虐待するのはある意味で殺人より悪質なのでは」(資料5)。虐待の社会問題化とそれが推進する厳罰化は、一般の事件よりも親を重く罰する方向に向かっているのかもしれない。

 かつて、刑法(1907年制定)には尊属殺の重罰規定があった(200条)。最高裁がそれを憲法14条の定める法の下の平等に反すると認めたのは1973年。刑法上からこの条文が削除されたのは、それから20年余りたった1995年。尊属殺規定を削除するまで、どれほど時間がかかったことか。
 このことを思うと、時代はずいぶん変わったものだと思う。尊属殺に代わって、親が子どもを殺す虐待こそ、最も重大な犯罪と見なす社会になった。法の下の平等に反してまでも。

 しかし、親に怒りを募らせ、とりわけ厳しい罰を科そうとする社会は、果たして「健全な社会」なのだろうか。怒りの渦巻く不寛容な社会を、人々は求めているのだろうか。また、虐待をする親を非難する一方で、社会は子どもの育成にどれだけ責任を負おうとしているのだろうか。
 大阪事件の母親は、どうしようもなく愚かで未熟ではあっても、別の裁判員の声にあるように、私にはとても有期の最高刑を科すべき「凶悪犯」とは思えない(資料3)。

*児玉勇二「児童虐待の根本的解決のために」『法と民主主義』No.26719925月、33頁。


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【刑法】1907(明治40)年制定 1995年現代語化
12  懲役は、無期及び有期とし、有期懲役は、1月以上20年以下とする。
14  死刑又は無期の懲役若しくは禁錮を減軽して有期の懲役又は禁錮とする場合においては、その長期を30年とする。
 有期の懲役又は禁錮を加重する場合においては30年にまで上げることができ、これを減軽する場合においては1月未満に下げることができる。
199  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
200条 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス。(尊属殺、削除)
218  老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する。(保護責任者遺棄等)
219  前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。(遺棄等致死傷)


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【資料12児放置死 母に懲役30年 育児放棄で殺意認定 
 読売新聞 2012317

 大阪市西区のマンションで2010年、長女の桜子ちゃん(当時3歳)、長男の楓
(かえで)ちゃん(同1歳)を放置、餓死させたとして殺人罪に問われた母親の元風俗店従業員下村早苗被告(24)の裁判員裁判の判決で、大阪地裁は16日、有期刑では上限の懲役30年(求刑・無期懲役)を言い渡した。直接の暴行のない育児放棄(ネグレクト)での殺意を認定した。
 西田真基(まさき)裁判長は「子供らは絶望の中、空腹と喉の渇きにさいなまれながら衰弱し、命を絶たれた。むごいの一語に尽きる。犯行の残酷さ、結果の重大性を何よりも重視すべきだ。児童虐待は増加の一途をたどり、予防の見地も無視できない」と量刑理由を述べた。
 判決によると、下村被告は1069日、2児を、居間の扉に粘着テープを張り、玄関に鍵をかけて閉じこめたまま外出して放置し、同月下旬に餓死させた。
 公判で下村被告は殺意を否認し、弁護側は保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張した。
 判決で西田裁判長は、下村被告が同年3月頃から、2児を自宅に置き去りにして外泊を重ねるようになったと指摘。事件前も1週間〜10日間、家を空けており、いったん帰宅した際、2児が相当衰弱していたことを認識しながら少量の飲食物以外は水もない状態で再び外出したとし、「被告は2児を死亡させる可能性が高く、危険な行為と認識しており、殺意があったと判断できる」とした。
 一方で、西田裁判長は「下村被告は離婚後、周囲の十分な援助がない中で仕事と育児に限界を覚え、精神的、体力的な負担を感じていた」などと同情的な見方も示し、「社会全般が児童虐待の発見、防止に努め、子育てに苦しむ親に理解と関心を示し、協力していくことを願う」と述べた。


【資料2大阪2児虐待死判決 過去のケースと比べ突出して重い量刑 残酷さを重視
 産経ニュース 2012316

 大阪市の2児虐待死事件で、下村早苗被告を懲役30年とした16日の大阪地裁判決。ネグレクト(育児放棄)が殺人罪に問われたケースは過去にもあるが、有期刑の上限となる量刑は格段に重い。背景には2人の命が奪われたことに加え、あまりに残酷な犯行態様を裁判員が重く見たことがあるとみられる。
 「ネグレクト」という言葉が広く知られるきっかけとなったのは、愛知県武豊町の3歳女児餓死事件だった。平成12年、長女を自宅で段ボール箱に閉じ込めて餓死させた両親は、懲役7年の実刑が確定している。
 北海道苫小牧市の自宅に5歳だった長男と1歳の三男を1カ月以上置き去りにした上、三男の遺体を遺棄した母親に対しては、札幌地裁室蘭支部が19年、懲役15年を宣告。下村被告と同様、生後5カ月の長女を放置してホストクラブに通っていた母親に大阪地裁が18年に言い渡した判決は実刑ではなく、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年。地裁は殺意が未必にとどまることや、母親の置かれた環境に同情すべき点があることを執行猶予の理由とした。
 しかし、下村被告に対する判決は、「量刑には犯行態様の残酷さを何よりも重視すべきだ」と指摘。死亡した2人が置かれた環境を「食べ物も飲み物も手に入れることができず、糞尿にまみれ不衛生極まりない」と表現した上で、そこで母親を待つ2人を徐々に衰弱死させたことを「『むごい』の一語に尽きる」と断罪した。

【資料3裁判員「救い求めていれば」育児に悩む被告に同情も
 産経ニュース 2012316 17:49
 
 大阪市の2児虐待死事件で、裁判員3人と補充裁判員1人が判決後に記者会見。育児に悩んでいたという下村早苗被告(24)に同情する意見もある一方、争点となった殺意の有無については、現場マンションの写真など客観的証拠から「正解と思える答えを出したと思う」と話した。
 「彼女は凶悪犯ではない。もう少し救いを求めていれば、社会も助けてくれたのではないか」。こう話したのは、30代の女性裁判員。別の裁判員も「何かが一つ変わっていれば、ここまでなることはなかった」と述べ、シングルマザーとして2人の子育てに悩んでいた下村被告の境遇をおもんぱかった。
 一方、殺意の有無について、40代の男性補充裁判員は「殺意がないという彼女の言葉を信じてあげたかったが、客観的証拠はそうではなく、非常に難しかった」と振り返った。審理の過程では亡くなった2人の遺体の写真が示されることもあり、「寝る前に思い出すこともあった」と話す裁判員もいた。


【資料4寝屋川女児虐待死 両親に求刑超え懲役15年 裁判員裁判判決
読売新聞 2012322

 大阪府寝屋川市で20101月、当時18か月の三女に暴行し、死亡させたとして傷害致死罪に問われた父親の岸本憲(あきら、28)、母親の美杏(みき、29)両被告の裁判員裁判の判決で、大阪地裁は21日、いずれも求刑(懲役10年)を上回る懲役15年を言い渡した。裁判員裁判で求刑を超える判決は約20件あるが、大半は12年で、5年も上回るのは極めて異例。
 両被告は公判で「死亡は転倒などの事故が原因だ」と無罪を主張したが、斎藤正人裁判長は負傷程度から暴行を認定し、「殺人罪と傷害致死罪の境界線に近い」と位置付けた。そのうえで、「三女は守ってくれるはずの両親から理不尽な暴行を繰り返され、激化した末に悲惨、悲痛な死を余儀なくされた。児童虐待は大きな社会問題で今まで以上に厳しい刑罰を科すべきだ」と量刑理由を述べた。
 判決によると、両被告は共謀。同月27日未明、憲被告が自宅マンションで三女の瑠奈(るな)ちゃんの頭を平手で強くたたいて床に頭を打ちつけ、同年3月、頭部への強い衝撃で脳が腫れる「脳腫脹(しゅちょう)」で死亡させた。
 両被告は09年春からささいな理由で瑠奈ちゃんに継続的に暴行し、互いに制止もしていなかったことから、斎藤裁判長は今回の事件の共謀も認定。動機は捜査時の憲被告の供述から、「瑠奈ちゃんが食事をしないことに腹を立てた」とした。
 求刑について斎藤裁判長は、(1)事件時の瑠奈ちゃんの体重は標準より約3キロ軽い6.2キロで、育児放棄に等しい状態だった(2)両被告は事件前の瑠奈ちゃんのあざの原因を別の娘のせいにした――と指摘し、「事件の悪質性と被告の態度の問題性を十分に考慮していない」とした。
 さらに「逃げ場のない孤独や絶望を抱いた精神的苦痛は筆舌に尽くし難く、両被告の責任は重大。子どもの命の尊重を求める声が高まっている社会情勢を考えると、今まで以上に厳しい罰が適合する」と述べた。


【資料5大阪・寝屋川の1歳虐待死:求刑10年に懲役15年 裁判員「殺人より悪質」 厳刑化に懸念も
 毎日新聞 2012322日 大阪朝刊

 1歳の三女を虐待死させたとして両親に求刑(懲役10年)を上回る懲役15年を言い渡した21日の大阪地裁判決。求刑より12年多い量刑の判決はあるが、1.5倍は異例だ。裁判員からは「親にしかすがれない子供を虐待するのはある意味で殺人より悪質なのでは」との声も聞かれた。
 主文の言い渡しを後回しにしたこの日の判決。父親の岸本憲(あきら)(28)と母親の美杏(みき)(29)の両被告による虐待の実態を次々と指摘し「育児放棄に等しい不保護」と指弾した。「逃げ場のない孤独と絶望を抱いた女児の精神的苦痛は筆舌に尽くしがたい」。読み上げが続く間、憲被告は時折法壇に向かって文句をつぶやき、裁判長に制止された。対照的に美杏被告は主文を聞いても無表情だった。
 判決後、裁判員3人(男性2人、女性1人)が大阪市内で記者会見。大学で心理学を学び、養育支援などの勉強もしているという男性は「(量刑が重いかどうかは)人それぞれの捉え方。同種の虐待事件を担当する裁判員が参考にしてくれればという思いは多少なりともある」と述べた。
 もう一人の男性は、今後の被告に「成長した子供たちときちんと向き合える人間になってほしい」と話し、女性は「犯した罪は重大だが、やり直す機会が見つかると信じている」と更生に期待した。

 児童虐待を巡る裁判員裁判では、▽5歳の長男を餓死させた母親を懲役96月とした奈良地裁判決(112月)▽5歳の長女に暴行を加えて死亡させた継母を懲役5年とした神戸地裁判決(116月)−−など実刑が相次いでいる。
 大阪市西区のマンションに長女と長男を放置して死亡させたとして殺人罪に問われた下村早苗被告(24)に対し、大阪地裁は今月16日に有期懲役では最長の懲役30年を言い渡した。ごみにまみれた部屋で2児が衰弱死したという残酷さが影響したとみられる。
 求刑を上回る量刑となった例も。15カ月の長女に暴行し死なせたとして傷害致死罪に問われた母親に対する判決(113月)では、静岡地裁沼津支部が求刑を1年上回る懲役7年を言い渡した。
 元裁判官の木谷明・法政大法科大学院教授は「今回の判決は極めて重い。検察官は公益の代表者として求刑しており、それを大幅に超えるのは問題だ。虐待や性犯罪などでは、裁判員は悲惨さに目を奪われ思い入れが強くなる。教育目的の側面も踏まえた量刑が望ましい」と話す。


【資料6子ども置き去りの母親、「更生を」と刑猶予 東京地裁 
 朝日新聞 19881027

 東京・巣鴨のマンションに幼い兄妹4人が置き去りにされ、長男(15)らにせっかんされた3女(当時2つ)が死亡、ほかの子も栄養失調になるなどした事件で、保護者遺棄、同致傷の罪に問われた母親(40)に対する判決公判が26日、東京地裁刑事28部であり、高橋省吾裁判官は「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きわまりない犯行。3女の死の遠因となったといっても過言ではない」などとして、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。
 高橋裁判官は判決理由の中で、刑の執行を猶予したことについて「子供の出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子供の生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同棲相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」と述べた。