【児童虐待8 
 虐待対策
 親を変えるか、環境を変えるか
  2011.12.28






ユニセフのレポート

 ユニセフのレポートによると(資料1)、日本の15歳未満の子どもの虐待による死亡率は、1970年代前半(1971-75年の平均値)、10万人当たり2.1。この数値は、先進工業国23カ国中、メキシコ(10.5)、アメリカ(2.4)に次いで3番目に高かった。
 それが90年代(後の数字)には1.0へと半分以下に下がる。日本は70年代から90年代にかけて、大幅に虐待死を減らした国の一つである。
 だが、90年代に死亡した子どもの数は、今日に比べればはるかに多かった(資料2)。90年代の5年間で死亡した15歳未満の子どもは合計916人(年平均183.2人)、1歳未満257人(同じく51.4人)。
 それに対し、近年の虐待による死亡子ども数は、警察統計によれば、1999年以降最も多かった2001年が61人、最少の2009年が28人(殺人と傷害致死の合計。「児童虐待7」のページ参照)。近年は90年代の6分の1から3分の1である。

 70年代に10.5と最も死亡率が高かったメキシコは、90年代には3.0へと、3分の1以下に減少している。それに対し、2番目に多かったアメリカは、90年代に入っても死亡率2.4と、70年代と変わらない。アメリカの5年間の15歳未満の死亡人数は7081人(年平均1416.2人)、1歳未満は1889人(377.8人)。
 アメリカは虐待対策の先進国と言われるが、虐待による子どもの死亡が先進国で最も多い国の一つでもある。


資料1 Figure 5 Rate of child maltreatment deaths in the 1970s and 1990s
Pasted Graphic

The dark bars show the annual number of deaths from maltreatment averaged over a five year period during the 1990s (as Figure 1b) and the pale bars show the rates over the five year period 1971-75 (the basis for the ranking). Rates are expressed per 100,000 children aged under 15 years. The totals include deaths that have been classified as ‘of undetermined intent’ as in Figure 1b.

unicef INNOCENTI REPORT CARD ISSUE No.5 SEPTEMBER 2003
A LEAGUE TABLE OF CHILD MALTREATMENT DEATHS IN RICH NATIONS
http://www.unicef-irc.org/publications/pdf/repcard5e.pdf


資料2 Figure 2 Number of child maltreatment deaths
Pasted Graphic 1

The table shows the total number of maltreatment deaths among children under the age of 15 and those under the age of one year. The totals are for a five year period and include deaths that have been classified as ‘of undetermined intent’ as in Figure 1b.


アメリカ型とヨーロッパ型

 虐待問題に取り組んできた小児科医の小林美智子は、リチャード・D・クルーグマンが日本子ども虐待防止研究会(現日本子ども虐待防止学会)の第1回大会国際シンポジウム(1994年)において語った次のような「警告」を反芻し続けてきたという。クルーグマンは、アメリカのケンプ医師の後継者で、国際子ども虐待防止学会の会長を務めた。

 「日本は米国型のシステムを作るのか欧州型を作るのかを慎重に考えて欲しい。今ならまだ選べる。」

 年間300万件もの虐待通報に追われ、肝心な支援に取り組む余裕のなくなったアメリカと、発見と支援の均衡を図ってきた欧州型。クルーグマンは、虐待が社会問題化してまだ日の浅い当時の日本に対して、どちらの方向をめざすのかと問うたのである(小林200727頁)。

 児童虐待に取り組んできたロンドン大学のアイリーン・ムンローも、2005年の日本子ども虐待防止学会のシンポジウムで、グルーマンと同様、虐待への対応システムを、家庭への支援を志向するヨーロッパ型と、法的権限による介入(取り締まり)を志向するアメリカ型に分け、イギリスの虐待対策について次のように指摘している。
 アメリカと同様、介入・取り締まり型のイギリスでは、虐待通報件数が爆発的に増大する中で、専門家はその対応に追われている。その結果、「虐待調査の名目でたくさんの家庭が辛い思いを強いられたあげく、問題が非常に深刻になるまでは支援してもらえないという状況が生まれている」。介入による子どもの保護と家族への支援のどちらに比重をおくかという点では、イギリスは「悪い例」になる(ムンロー20077584頁)。

 日本で虐待が社会問題化して20年余り。クルーグマンの「警告」は一顧だにされないまま、日本はアメリカ型のシステムの確立に邁進してきたように思われる。その結果、いまやクルーグマンやムンローが嘆いた状況に日本も陥っているのではないか。

 だが、なぜアメリカなのか。参照すべきは、子どもの虐待死が多く、かつ70年代以来死亡率が減少していないアメリカではなく、虐待死の少ない国や減らしている国の対策ではないのか。


貧困と虐待

 アメリカは虐待死が多いだけでない。世界一の経済大国でありながら、先進国の中で子どもの貧困率が最も高い国の一つでもある。
 アメリカのリーロイ・H・ペルトンは、「児童虐待やネグレクトが強く貧困や低収入に結びついているという事実を超える、児童虐待やネグレクトに関する事実はひとつもない」と述べる。それゆえ、虐待を減らす最も効果的な方法は、「貧困やそれに付随する環境的な困難性」を減らすことだと主張する。しかしながら、貧困家庭に対する緊急の基金の交付は一時的な効果しかない。持続的な解決のためには、福祉政策の全面的な再検討が必要だとペルトンは言う(ペルトン2006101131-137頁)。

 ペルトンの指摘はもっともだと思う。確かに虐待は貧困だけが原因ではないが、ユニセフが挙げた資料3から分かるように、低所得階層ほど虐待が起こりやすいことは明らかである。日本でも虐待が貧困と関係していることを数々の調査が証明している(山野2006)。
 そうである以上、虐待を本気で減少させたいと望むのであれば、貧困から子どもを救出するための経済的な保障や教育保障、生活環境の整備にこそ、力を入れて取り組まなければならない。しかも、そもそも貧困は「あってはならない」ものであって、その解決を社会にせまる問題であるはずである(岩田20079頁)。


資料3  Figure 12 Family income and physical maltreatment
Pasted Graphic 2

The table shows the number of children who have suffered demonstrable harm as a result of physical maltreatment by a parent or parent substitute. Data are expressed per 1,000 children living in families in each income bracket. Data are from the USA in 1993.


法的介入の強化

 しかしながら、貧困の解消や経済的な保障は、日本の虐待対策には挙げられていない。この間進められてきたのは、一つには、立ち入り調査や一時保護、親権の制限といった介入・取り締まり型の虐待対策である。
 小林美智子は、それによって一方では「最も苛酷な状況の子どもにも支援の手が届くようになった」が、他方で、「親と児童相談所の関係がまったく変わってしまった」と次のように指摘する。

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親から見ると、児童相談所は、「虐待する親だと自分を決めつけ、監視し、親の意向を無視して子どもを奪う機関」になってしまった。それだけでなく、親はすべての支援機関に対して疑心暗鬼になってしまった。(中略)(児童虐待防止)法施行前の手探りの関係機関ネットワークでは、支援者は親との信頼関係を結んで子どもを支援することを目指し、関係者相互も信頼でつながりあうものであったが、法が介在することによって、親は支援者を信頼しきれなくなり、関係機関は権限と義務と責任を重視することに傾き、支援機関や連携の質が予想を超える早さで変わってしまった。(小林:200734頁)
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 小林によれば、「親は、虐待を疑われたことを知り、通告にまつわるストレスを経験すると、関係者への信頼感が変化する」という。そのため通告後、「親は表面的には関係を保つが本当は社会的孤立を深める」「目にふれにくい虐待が生じる」「転居することで関係を絶つ」といったことがよく起きると小林は指摘する(小林:200735-36頁)。
 親と児童相談所の関係がかつては信頼関係で結びついていたという小林の見方は、あるいは過去を美化しすぎているかもしれない。しかし、法的介入の強化が親との信頼関係を築きにくくしているという指摘は、虐待対策を考える上で重要な点であると思われる。


カウンセリング

 もう一つ進められてきた虐待対策は、カウンセリングや指導・教育など、虐待する親を「変える」あるいは「治す」ための施策である。それはおそらく、虐待する親の心には多かれ少なかれ治癒すべき「病理」があると考えられているからだろう。したがって、「未熟」な親や、子どもを理解しない親、あるいは自身も虐待を受けて心の傷を負った親を、カウンセリングなどの心理療法を通して「治療」することが重要な虐待対策とされる。
 だが、貧困などの生活上の困難に直面している親、しかも、法的介入の強化によって児童相談所に不信感を募らせるようになった親を、カウンセリングで「治す」ことができるのか。あるいはそれ以前にカウンセリングを受けさせることが可能なのか。児童相談所に勤める児童福祉士(当時)の山野良一は、これらの施策に対して疑問を投げかける。

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毎月の支払いや食事のことばかりに気をまわさなければならない家族に対して、僕らは、心理的なカウンセリングを課すことで子育て上の問題を解決しようというのだろうか。こうした家族に、僕らは1時間5000円ともされるカウンセリングを課そうというのだろうか。これはどこか戯画的でないだろうか。現実の生活に根ざした解決方法になっているのだろうか。(山野:200670-71頁)
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親を変える?

 他方、貧困と虐待との関係を指摘した先のペルトンは、社会環境的なサポートを行なうことによって、親を「変える」ことなく虐待を減らすことができると言う。

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クライエントを変化させ「リハビリテーション」させることを大きな目的として、社会環境的なサポートは、クライエントとの信頼関係を築くための方法のひとつと捉えられがちだが、実は、そのようなクライエントの変化は、児童虐待やネグレクトの減少のために、必ずしも必要なものというわけではないのは、この論文の分析から明確であろう。家族たちが住む環境や状況に対する直接的なインパクトを通して、社会環境的なサポートの提供は、児童虐待やネグレクトの減少に寄与する。そうした環境や状況を変化させることで、社会環境的サポートは、親たちの一切の変化なしに、児童虐待やネグレクトの発生を減らすことができる。親の監護力が十分か否かは、環境が十分か否かによるのだ。環境の方を変えることで、同じ親の行為が、変化なしに、虐待的・ネグレクト的と判断させる可能性を減らすことができるのだ。(ペルトン2006137頁)
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 実は私も、このペルトンの論文を読むまで、経済的な保障や生活環境の整備が虐待をする親を変え、それが虐待の減少や抑止につながると考えていた。カウンセリングによって、親を変えようとする発想に対して危惧を抱きながら、他方で、生活の保障によって、親を変えようとどこかで考えてきたのである。
 だが、ペルトンは親を変えようとはしない。「親の監護力が十分か否かは、環境が十分か否かによる」と考えるからである。ペルトンが問うたのは、虐待をする親を変えることが可能かどうかではなく、虐待対策に潜む親を「変えよう」とする意図や欲望そのものだったのである。


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小林美智子「子どもをケアし親を支援する社会の構築に向けて」
  小林美智子・松本伊智朗編『子ども虐待 介入とケアのはざまで』明石書店、2007年。
アイリーン・ムンロー「子ども保護の今後の発展」
  小林美智子・松本伊智朗編 同上書
岩田正美『現代の貧困』ちくま新書、2007年。
山野良一「児童相談所のディレンマ」「児童虐待は『こころ』の問題か」
  上野加代子編『児童虐待のポリティクス』明石書店、2006年。
リーロイ・H・ペルトン「児童虐待やネグレクトにおける社会環境的要因の役割」
  上野加代子編 同上書