■少子化と少子化対策について考える

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【少子化】
 仕事と家庭の両立支援
  2007.1.8


1.25の衝撃!?

 
2005年度の合計特殊出生率は1.25と発表になった(その後、1.26に修正)。この2年間は1.29だったので、これで下げ止まりかと思われていたのかもしれない。テレビも新聞もかなり衝撃的なニュースとして報道していた。
 朝日新聞は、一向にとどまらない少子化への対策として、「最大のかぎとなるのは、仕事と子育てを両立できる環境の整備だ」と書いている(2006.61夕刊)。

 だが、どうも政府が本気で少子化を食い止めようとしているとは思えない。それは、「仕事と子育てを両立できる環境の整備」が、少子化対策としてそれほど有効とは思えないからだ。「仕事と子育てを両立できる環境の整備」は、出生数の増加をはかるための対策というより、少子化によって減少する労働力を確保するためではないか。
 もちろん、私も仕事と育児の両立がしやすい環境を整備すべきだと思う。少子化対策として、仕事と育児の両立が推進されるのは、これまでにないチャンスだとも思う。だが、仕事と育児の両立は、少子化対策の「最大の鍵」なのだろうか。 そしてまた、仕事と育児の両立は、 少子化対策の一環でしかないのだろうか。そんな疑問がぬぐえない。せっかくのチャンスに、水をさそうと思っているわけではないのだけれど‥‥


仕事と子育ての両立!?

 なぜ、少子化対策の最大のかぎが仕事と子育ての両立なのか。それは、
女性の職場進出に少子化の原因があると考えられているからだ。 女性が仕事を続けるようになった結果、出生率が低下したのであるから、子育てと仕事が両立できるようになれば、女性はもっと子どもを生むはずだと考えられているのである。
 だが、こうした推論には、あまり根拠はない。第一、そもそも女性の職場進出はあまり進んでいない。この間増えているのはパートタイム労働で、母親の正社員比率は、むしろ低下している。子どもができて仕事を辞める女性の割合も高いままで、育児休業制度が導入される以前とほとんど変わらない。実際、朝日新聞は次のように、2006年版の『男女共同参社会画白書』の概要を紹介している(2006.69朝刊)。

  00年に出産した人を追跡調査したところ、第1子の出生1年前に仕事に就いていた女性が 
  出生1年半後までずっと仕事を続けていた割合は23%。一時離職して再就職 した人は13%  
  で、残りの約65%が第1子出産を機に仕事を離れていた。雇用形態ではパートやアルバイト
  など非正社員が増加。02年には40代以上の全年齢層で非正社員が正社員を上回り、再就職
  はパートやアルバイトが大半だった。


働く女性は子どもが少ないか

 それでも、仕事と育児の両立が重要な課題のように思われるのは、働く女性は専業主婦やパート主婦より出生数が少ないと思われているからだろう。仕事と育児の両立が容易になれば、働く女性ももっと子を生むはずだと。

 だが、これも根拠がない。2004(平成16)年版『少子化社会白書』は、 国立社会保障・人口問題研究所の「第12回出生動向基本調査」(2002年)のデータをもとに、 次のように書いている。

  1歳以上の子どもを持つ夫婦について、平均子ども出生数をみると、結婚後1519年の夫婦
  では、「就業継続型」(結婚前に就業し、子どもを出産後も就業を継続)の場合には 2.33
  人、「再就職型」(結婚前に就業し、第1子出産後は無職となったがその後就職)の 場合に
  は2.34人、「専業主婦型」(結婚前は就業していたが、子どもを出産後は無職)の 場合には
  2.28人と、ほとんど差がない。

 出生数はフルタイムで働く母も専業主婦もほとんどかわらないのである。今後、育児と仕事の両立がしやすくなったからといって、働く母が専業主婦よりも子どもをたくさん生むようになるなんてことはとても考えられない。
 もっとも、この政策は、未婚の女性や子どものいない若い女性を想定しているのかもしれない。だが、その効果は全くの未知数である。なので、私には「仕事と子育てを両立できる環境の整備」が、出生数の増大につながるとはあまり思えない(拙稿「少子化は女性の問題か」)。女性労働力の確保にはつながったとしても。


仕事と育児の両立〉政策をどう捉えるか

 だが、だからといって、仕事と育児の両立のための政策は意味がないとか、推進しなくていいということでは決してない。むしろ逆で、私としては、少子化対策の一環としてでなく、独自の価値のある政策としてちゃんと推進すべきだと思う。

 このことは、渋谷敦司氏が以前から指摘していたことである。 少子化を食い止めるために、男女共同参画社会を進めるわけではない。男女共同参画社会の実現は、それ自体に意味があると(「少子化問題の社会的構成と家族政策」『季刊社会保障研究』344号、1999年)。私もそう思う。

 だがここで、考えなくてはならないのが、赤川学『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書、2004年)の問題提起。仕事と育児の両立というのは、特定の生き方や生活スタイル、価値観を政策が推奨することにならないのかということである。
 確かに、婚外子差別や夫婦別姓の問題などを考えれば、特定の価値観に基づいた家族関係を国家が強要しない方がいい。働く夫と専業主婦と子どもといった「標準家族」を設定して優遇するのも、もう止めた方がいいと私は思う。
 だが、果たして価値中立的な政策などありうるだろうか。価値中立というのであれば、ほとんどの社会政策は実行不可能ではないか?
 赤川氏の本を読んで、私としてはこの点がずっと引っかかっていたのだが、こうした問題を考える上で、広瀬裕子氏の次の論文がとても参考になった。

政策は価値に関与する

 広瀬裕子は次のように言う。(「教育政策は価値に関与しないというテーゼの見直し」『日本教育行政学会年報』
30号、2004年)。

  「公権力が人々の価値観に関与すべきでないという近代社会の大原則が、きわめて戦略的な
  原則であることを理解すべきだ。(国家が私的領域に)介入しない形こそが市民社会にお
  けるセクシュアリティの充足、つまりは自律性の確保に資して有効であるという判断があっ
  たからこそ選ばれた手法であるはずだ」(40頁)
  「期待される人間像」などの教育政策が批判されるとすれば、「それはこれらが人々の内面
  に関与することを目的としたからではなく、自律する個人の確保に有効であったか否かとい
  う批判でなければならない」(42頁)

 なるほどと思う。政策を研究する上で、これほど切れ味のいい視点はなかったのではないか。「自律する個人」という前提をどう捉えるかという問題は残るとしても。このように捉えれば、一方では国家の介入を批判し(道徳教育など)、他方では国家の介入を求める(福祉など)といった、ある意味、ご都合主義的な政策観・国家観からも脱することができる。
 つまり、男女共同参画社会にしても、ワーク・ライフ・バランスにしても、問題とされるべきは、それが特定のライフスタイルを提唱して私生活に介入するからではない。現代の社会において、人々が自律した生活を営む上で有効かどうかということなのだ。