【育児不安】
 育児ノイローゼから育児不安へ!?
  2007.58




 「育児ノイローゼ」ということばは、最近あまり聞かない。それでも、ネットで検索すると、
13万件もヒットした。育児ノイローゼは、案外今も生きていることばなのかもしれないと思いつつ、次に「育児不安」を検索すると、何と157万件。時代は、やはり育児ノイローゼから、育児不安に移っている。

 ノイローゼというのは、「神経症」の意味だそうだが、あまりに多義的であるため、今日の精神医学ではほとんど使われていないという。育児ノイローゼは、もはや医学用語ではなく、日常用語である。実際、育児ノイローゼで検索したサイトの上位100件ほどを見てみても、その多くが体験談で、医学関係のサイトはあまりない。

 育児不安もいまや日常用語である。ノイローゼのように精神医学を背景に持たない一般的な語であるから、一層その傾向が強いと言えるだろう。違うのは、育児不安が、育児ノイローゼ以上に、官庁用語、行政用語となっていることだ。
 では、行政用語では、育児不安はどのように捉えられているのか。2003(平成15)年版厚生労働白書は、次のように書いている。 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200301/b0042.html

 育児不安とは、育児行為の中で一時的あるいは瞬間的に生ずる疑問や心配ではなく、持続し蓄積された不安をいう。育児不安の表れ方は、育児への自信のなさ、心配、困惑、母親としての不適格感、子どもへの否定的な感情といった心理的なものから、攻撃性・衝動性を伴う行動までさまざまなものがあり、すでに1970年代には報告がされている。

 育児不安というのは、「持続し蓄積された不安」を指すのだという。どうも、そうとばかりも言えない気もするのだが。ともあれ、なぜ育児ノイローゼに代って、育児不安が広く使われるようになったのか。ここでは、育児不安が注目を集めるようになったことの意味について考えてみたい。


育児ノイローゼと育児不安の登場—1970年代

 育児ノイローゼは、
1970年代に広く使われるようになった。1970年代は子殺しや母子心中が問題にされ、その原因として、しばしば育児ノイローゼが挙げられた。たとえば、1971(昭和46)年版『厚生白書』は、次のように書いている。

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児童の養育について自信の持てない両親もふえている。一部の母親は、育児ノイローゼがこうじて心中に走る場合すらある。児童を私物視して、親の手で殺したり心中をはかつた事件で、児童の生命が断たれた事例は、昭和
451月〜昭和464月までの期間に72件、1か月平均4.5件生じたとされている(全国養護施設協議会調べ)が、なかでも母親の育児ノイローゼは原因中に大きな比重を占めている。児童の問題は親の問題と言われるが、現在の家庭環境における問題点は問題児ならぬ問題親がふえている状況にあると言つても過言ではあるまい。
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 また、1979(昭和54)年版『厚生白書』は、核家族の場合、「特に重要な相談相手たる姑の活用もほとんど行われておらず、夫と相談する度合が高くなっている」「このような場合、未経験な母親ほど育児についての不安が高まることが容易に想像され、これが高じれば、例えば育児ノイローゼといった不幸な現象を引き起こす要因ともなりやすい」と述べている。

 このように、1970年代には、育児に自信のない母親や不安を持つ母親が問題にされ、それが高じると育児ノイローゼになると捉えられていた。こうした育児に関する不安は、その後、「育児不安」と言われるようになる。たとえば、1980(昭和55)年版『厚生白書』は、「妊娠や育児に関する正しい知識の欠如や育児不安をもつ母親の増加」を指摘している。

 山根真理によれば、1980年代以降、育児不安など、「母親の心理や育児を行う当事者のもつ社会関係に焦点をあてた実証研究」が本格的に定着したという(「育児不安と家族の危機」清水新二編『シリーズ家族はいま④家族問題危機と存続』ミネルバ書房、2000年)。白書も、こうした研究の成果を取り入れるようになったのだろう。


育児不安の社会問題化—2000

 だが、育児不安が社会的に大きく取り上げられるようになるのは、ずっと後である。朝日新聞の「聞蔵」で
1984年以降の新聞記事を検索すると、育児不安は1980年代末までヒットしない。1989年に1件。それ以後、少しずつ増えていき、200022件、200125件、2002年が最も多くて36件である。
 他方、育児ノイローゼは、1986年が1件で、それ以後漸増。199799年に増えるが(最高で24件)、以後減少する。そして、2000年には、育児不安の使用件数が育児ノイローゼよりも上回る。この時期に、育児不安が育児ノイローゼに取って代わったのである。

 では、なぜ、2000年前後に育児不安が注目されるようになったのか。それは、児童虐待の「増加」をもたらした原因・背景として、育児不安が指摘されるようになったからである。
 児童相談所で、児童虐待に関する統計を取り始めたのは1990(平成2)年。次のグラフに見るように、徐々に相談件数が増え、1998(平成10)年以降、急増する。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/06/h0629-4.html   


【資料1】児童相談所における児童虐待相談受付件数
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2005(平成17)年度は速報値


 こうした相談件数の増加を背景に、
2000(平成12)年には、「児童虐待の防止等に関する法律」(児童虐待防止法)が制定される(2004年改正)。朝日新聞でも、2000年から2004年にかけて、虐待に関する記事が大幅に増える(「児童虐待2」のページ)。
 つまり、2000年前後に、児童虐待が大きな社会問題になることによって、育児不安もまた社会的な関心を集めるようになったのである。


育児不安をもたらすもの

 では、育児不安とはどのようなものか。なぜ育児不安になるのか。『厚生(労働)白書』の説明を見て見よう。

 育児不安の背景・要因としては、「核家族化」「都市化」「少子化」といった紋切り型の説明に加えて、次のように、母親をめぐる人間関係や社会環境などが指摘されているのが特徴的である。

専業主婦に多い
「専業主婦により高い不安傾向が見られるのは、家に閉じこもって、終日子育てに専念する主婦は、子育てについて周囲の支援も受けられず、孤独感の中で、子ども中心の生活を強いられ、自分の時間が持てないなどストレスをためやすいためではないかと考えられる」(1998、平成10年版)

夫の協力
「夫が子育てを行うことと妻の育児不安は関連が深く、平成10年『厚生自書』は、夫が子育てに協力的であるほど女性の育児不安は少ないと指摘している。また、前出のこども未来財団調査によれば、妻が期待する子育て分担よりも夫の分担が少ないことは、妻の負担感を増大させる結果となっているなど、夫が子育てを行うことは、妻の育児不安や子育て負担感の解消に良い影響を与える」( 2001、平成13年版)。

近所つきあい、地域のネットワーク、子育て以外の生き甲斐
「近所付き合いが広い人ほど,子育て以外の生きがいを持っているほど(中略)育児不安が少ないことを示唆する研究もある。」(1998、平成10年版)

子どもと接する機会の不足
現在の母親は「自らの子ども時代を少産少子時代に過ごした世代であり、(中略)我が子を持つまでに乳幼児の世話をしたことがないものは39.3%から64.4%に増加しており、子どもとの接触経験や育児経験は不足している。」(2003,平成15年版)

 こうした分析の根拠として、以下のグラフが載せられている。


【資料2】1998(平成10)年版『厚生白書』
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【資料3】
2001(平成13年)版『厚生労働白書』
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【資料
42003(平成15)年版『厚生労働白書』
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http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm

 
育児不安に関する研究の成果

 以上のような白書の分析は、山根真理の言うように、地道な実証研究の成果を反映したものだろう。山根は、育児不安などに関する
1980年代以降の研究は、育児「問題」を見る視点を、母親個人から、「育児をめぐる社会関係、社会制度」へと拡大することに貢献したと指摘している。

 確かに、1971年版『厚生白書』が育児ノイローゼの母親を「問題親」と指摘したように、育児ノイローゼという捉え方は、問題や原因を母親個人に還元しやすい。それに対し、育児不安は、ダメな母親だからではなく、社会的な条件や関係の中で陥るものであることが明らかにされたことの意義は大きい。母親がひたすら育児に専念すればいいというわけではないことが実証されたのも画期的である。
 そして、こうした研究の成果は、専業主婦に対する支援や、一時保育、遊び場、ネットワークづくりなど、子育てに対する社会的な支援制度を組織化し、拡充することにつながってきた。その意味で、育児不安に関する研究の成果は大きいと思う。

育児不安は増えているのか

 しかし、その一方で、どうしてもひっかかる点がある。それは1つには、育児不安が「増えている」とか、「深刻化」しているといったことが、ほとんど根拠を示されないままに言われていることだ。

 根拠がないというのは言い過ぎかもしれない。2003(平成15)年版『厚生労働白書』は下記のようなデータを示し、次のように書いている。

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育児不安
を訴える母親が増えてきているともいわれている。(社)子どもの虐待防止センター「首都圏一般 人口における児童虐待の疫学調査報告書 」(2000年)により1978(昭和53)年と1999(平成11)年で  母親意識の推移をみると、「子育てが負担に感じる」、「世の中から取り残される」、「視野が狭くなる」の項目が上昇し、育児の負担感が高くなっている。また、大阪保健センター母親調査により1981(昭和56)年  と2000(平成12)年で母親意識を比較すると 、子どもといると楽しいと答える母親は9割弱で変化はないものの、子どもといると「イライラすることが多い」と答える母親が10.8%から30.1%に増加している(図  表2-2-2)。また、(社)日本小児保健協会「平成12年度幼児健康度調査」によると、既に「子どもを虐待  しているのではないかと思うことがある」と答える母親が全体の2割にも達するなど、子育て期の母親が抱える不安は見過ごすことができない状況になっている。強い育児不安は児童虐待発生のリスクを高めるなど深刻な問題を引き起こすとともに、子どもの育ちに大きな影響を及ぼし、思春期の問題行動など長期的な問題の引き金となることも指摘されている。
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【資料5】2003(平成15)年版『厚生労働白書』
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 確かに、このグラフから、育児でイライラすると答える母親が増えたことはわかる。だが、育児でイライラするのが育児不安なのだろうか。育児を負担に感じるというのが、育児不安なのだろうか。その一方で、「子どもといると楽しいと答える母親」が「9割弱で変化はない」ということをどう捉えるのか。こうしたことが、明確にされないまま、「強い育児不安」が虐待につながると書かれているのも気になる。

 同白書は、前述のように、育児不安というのは、「育児行為の中で一時的あるいは瞬間的に生ずる疑問や心配ではなく、持続し蓄積された不安をいう」と定義している。だが、「イライラすることが多い」ということが、「持続し蓄積された不安」と言えるかどうか、かなり怪しい。資料5のグラフは、育児不安の増加を表すデータとしては、あまりに曖昧であり、不十分である。 


拡大する育児不安

 2つめの疑問は、育児不安がかなり拡大解釈されており、それによって、問題とされる範囲までもが大幅に広げられているのではないかということだ。

 たとえば、1998(平成10)年版『厚生白書』は、「育児不安や育児ノイローゼは、専業主婦に多く見られる」という見出しの下、資料2のグラフについて、次のように述べる。

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1997(平成9)年の経済企画庁の調査によると、第一子が小学校入学前の女性のうち,子育ての自信がなくなることが「よくある」又は「時々ある」と答えた者の割合が、有職者で半数、専業主婦では7割にも達している。
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 これでは、子育ての自信がなくなることが「よくある」場合のみならず、「時々ある」場合までもが育児不安であるかのように読めてしまう。しかも、7割という数値が強調されることによって、あたかも今の専業主婦のほとんどが育児不安か、その予備軍であるかのような印象を与える記述になっている。
 だが、子育ての自信がなくなることがあると答えた7割のうち、「よくある」は15.7%にすぎず、「時々ある」が54.3%である。大多数を占める「時々ある」は、「持続し蓄積された不安」とは、必ずしも言えないだろう。にもかかわらず、時々自信がなくなることまでもが、育児不安を表すものとして換算されている。

 2003(平成15)年版の国民生活白書も同様である。同白書は、「子育てにおいて、さまざまな不安が生じていることも、若年の出産意欲の低下をもたらしている」と述べ、「子どもがいる女性の6割以上は育児不安を感じている」という見出しの下、次のグラフを載せている。


【資料6】2003(平成15)年版『国民生活白書』

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http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h15/honbun/html/15332c10.html


 ここでも、育児の自信がなくなったり、焦ったり、イライラすることが「時々ある」ことすら、育児不安とみなされている。資料6のグラフは、育児不安を大幅に水増しし、一時的な心配すら、育児不安として拡大解釈しているのである。
 育児ノイローゼは、個々の母親の資質や事情のせいにされることが多かったが、問題とされる範囲は、かなり深刻な場合に限定されていた。それに対し、育児不安は、問題の範囲を大幅に拡大し、そのことによって、育児にともなうイライラや不安、焦りなど、日常の些細な感覚や感情までもが問題視されるようになった。


育児不安と児童虐待

 育児不安に関する言説で、もう1つ気になるのは、育児不安の「増加」が児童虐待の「増加」の原因であるかのように言われていることである。虐待が増えているということを示すデータはないし、虐待が増えているとも思えないということは、「核家族化は『家庭の教育機能』を低下させたか」(
About Me PDFファイルを載せました)に書いた。増えているのは、前述のように、相談件数である。

 育児不安かどうかは別として、育児に関する何らかの不安が、虐待の相談件数の増加につながっているというのは分かる。1999(平成11)年版の『厚生白書』は、「相談件数の急増の要因」として、「親が育児不安に陥ったり,育児に負担を感じる例が増加していること等が考えられる」と書いている。
 だが、翌2000(平成12)年版では、「相談件数の急増の要因」は「児童虐待の背景」に書き改められ、児童虐待の主な要因として育児不安が挙げられている。同白書によれば、①育児不安に陥ったり育児に負担を感じるなど養育上のストレスが高まっていること、②子育てに対する責任意識が十分でないまま親になっている者が存在していることが、虐待「増加」の背景にあるという。こうした記述は、2001年版も、2002年版もほとんど同じである。

 だが、はたして、育児不安が虐待の「増加」につながっていると言えるかどうか。虐待件数のうち、育児不安が虐待につながっている割合がどれくらいか、検証する必要がある。そうしたデータが示されないまま、育児不安が拡大解釈され、相談件数が虐待件数に読み替えられている。こうした安易な育児不安の社会問題化は、現代の母親の多くが児童虐待をしかねないかのような不信と恐怖感を世の中に与えているのではないか。


育児不安とはどんな問題なのか

 確かに、育児不安に関する研究が、母親一身に育児のストレスや負担が降りかかることの問題を明らかにしたことの意義は大きい。育児不安は、育児にともなう母親の日常の感情や感覚自体を広く分析することによって、はじめて明らかになった。

 しかし反面、 育児不安は、 こうした文脈を離れて、今日の母親一般が問題であるかのような世論を補強することにもなった。児童虐待の社会問題化とともに、育児不安がその有力な根拠として注目されるようになったのは、このことをよく表している。
 育児不安はまた、時々自信がなくなるとか、不安になるとか、イライラするとか、育児をしていれば誰もが感じるような日常のありふれた感覚や感情までをも、「問題」と見なすことによって、今日の母親の「問題」を大幅に拡大することにつながった。

 だが、そもそも育児不安はどれほど問題なのか。あるいは、どのような意味で問題なのか。「家庭の教育力」のページで紹介したように、田島信元は、総務庁「子供と家族に関する国際比較調査」(199495年調査)の報告書(1996年)で、しつけや子育てへの不安が高いほど、子どもとの会話が豊富だと分析している。その結果から、「子供のしつけや教育の問題について悩んだり、不安を感じている親は、子供とできるだけコミュニケーションをとろうと努力していることがうかがわれる」と田島は言う。

 なるほどと思う。育児にときどき自信がなくなったり、不安になったりするのは、子どもが嫌いだとか、育児が嫌だとかといったことが、主要な問題ではないだろう。2003年版『厚生労働白書』が、「子どもといると楽しい」と答える母親は、1981年も2000年も9割弱で変化はないと書いているように、子どもが可愛く思えない母親が増えているわけではない。
 にもかかわらず、子育てに不安を感じる母親が増えたとすれば、それは、それだけ子育てに細心の注意が要求されるようになり、母親もまた細心の注意を払って子育てに専心せざるを得ないからではないか。とりわけ、コミュニケーションや理解といった、際限のない子どもへの関わりが重視されるようになったことが、母親の不安を増しているように思えてならない。