ジューン・ベリー
■比叡山もはげ山だった 朝日新聞2010.12.2
■消えた老人問題 朝日新聞 2010.9.30
■殺人認知件数最少 朝日新聞2010.1.15
■もはや戦後ではない 朝日新聞 2009.12.2
■虐待の背後社会的孤立 朝日新聞2009.9.30
■貧困実態を調査 東京新聞 2009.7.30
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■400年ぶりに森林が回復!? 2010年12月2日
てっきり、日本の森林は伐採によって、減少し続けているのかと思っていました。でも、大きな勘違いなのですね。記事には森林面積の変遷を表すグラフが着いていたのですが、それによると、1900年代前半(大正時代)が、最低の水準だったようです。
このところ、炭焼きや植林をする山人を描いた宇江敏勝『山びとの記―木の国 』(中公新書、1980年)を寝しなに読んでいたのですが、高度成長期にどれほど、どのように植林が進められたのかわかります。大変な重労働でした。
もっともその頃植えられた杉やヒノキが、今問題になっているのですが。
【記事】(えこ事記)森林:1 比叡山も、はげ山だった 「暮らし変化+植林」で回復
@朝日新聞 2010年12月02日夕刊
11月中ごろ、観光客や地元のハイカーたちでにぎわう京都府と滋賀県にまたがる比叡山は、木々があふれ、中腹まで赤や黄色に木々が色づいていた。
100年ほど前は、はげ山同然だった。京福電気鉄道の叡山ケーブルが開業したのは1925年。絵はがきや社史に残る当時の写真をみると、1.3キロにわたる路線のわきは、山肌がむき出しになっている。
京都周辺の山では、室町時代後期から少なくとも昭和初期までは草木が少ない状態が続いていた。樹木を薪や炭など燃料として利用したほか、肥料としても草を刈っていたからだ。
古い絵図などから植生の変化を研究している京都精華大学の小椋純一教授(植生史)は「今も続く五山の送り火は、はげ山が多かったころの文化の名残」とみる。明治末期ごろから、徐々に植林が進んだことなどもあって緑は回復していった。今は、ケーブルカーは豊かな森林のトンネルを抜けていく。
●各地で同じ光景
京都だけではない。里山と呼ばれる、人々が暮らす周辺の山では、全国で似たり寄ったりの光景が広がっていた。昨年発行された全国植樹祭60周年写真集には、明治から戦後間もないころにかけて、北海道の襟裳岬から沖縄本島北部まで各地で見られたはげ山が紹介されている。
化石燃料が普及する最近まで、日本人は燃料の多くを山に依存していた。昔話にある「おじいさんは山に柴刈りに出かけました」の時代が続いた。柴とは雑木のことだ。
しかし現在の日本で、はげ山はほとんど見られなくなった。森林の変遷に詳しい太田猛彦東京大名誉教授は「現代の日本は、少なくとも400年ぶりに豊かな森林が回復している」と説明する。
日本では、縄文時代の終わりに農耕が始まるとともに森林の減少が始まった。特に戦国時代から江戸時代にかけて、人口は3倍の約3千万人に膨れあがり、人々を養うためにより多くの農地や燃料を必要とした。
明治時代に入ると、入会地として共同体が守っていた森林も過剰な利用が進んだ。日本の森林がもっとも荒れていた時代とみられる。
明治政府は危機感を覚えたようだ。1897年には、欧州を参考にして森林法ができた。水源の確保などの目的で伐採を規制する保安林制度が確立した。また、地租改正であいまいだった森林の所有権もはっきりし、保護というよりは木材生産のため、森林への投資が進むようになる。
●緑、50年で2倍に
戦争で森林の乱伐が進んだが、戦後復興で人工林を広げる拡大造林が始まると、その初期には樹木がほとんど生えていない荒れ地への植林も進んだ。森林は、劇的に回復していく。林野庁によると、森林蓄積量は1950年代前半と比べ、いまや2倍以上の44億立方メートルにもなった。
だが量の回復とは裏腹に、人と森の距離は遠のいた。森の中は、荒廃が進んでいたのだった。
◆「食べるため森壊す」 世界では年間730万ヘクタールが消滅
かつての日本のような森林破壊が、世界ではいまも大規模に進行している。
ラオス北部の古都ルアンプラバンに近い山岳地帯。「人口が増えているので焼き畑のサイクルは短くなっている。食べていくために森を壊している」と女性村長(64)。森林の回復力を上回る焼き畑で森林が減り、劣化が進む。ラオス全体でみると、国土面積に占める森林の割合はここ半世紀ほどで70%から40%台にまで下がった。
農家の年収は10万円足らず。生活のために行われている森林破壊を防ぐためには、他の生計手段を確保しなければならない。国際協力機構(JICA)などは住民が魚の養殖や養豚、民芸品づくりに取り組めるよう、手助けを始めた。焼き畑をやめる村人も出てきて、成果が上がり始めている。
世界各地で人口増加に伴い森林は徐々に農地に置き換えられていった。インドネシアや南米アマゾン、アフリカ中央部の熱帯雨林は現在、地球上で最も森林破壊が進んでいる地域とみられている。シベリアなどの針葉樹林帯でも相次ぐ違法伐採や火災によって森林が失われている。
国連食糧農業機関(FAO)のまとめでは、先進国や途上国の一部で植林などで森林面積が増えているが、人口の爆発的な増加もあって、熱帯の途上国を中心に大規模な森林減少が続く。世界全体では毎年、日本の国土面積の2割に相当する約730万ヘクタールの森林が減少している。地球温暖化を加速させたり、生物多様性を失わせたりする主な原因の一つになっている。
◆経済発展でU字回復
経済の発展とともに森林の減少が進むが、さらに発展すると増加に転じる。この関係を、東京大学の永田信教授(森林政策)らは20年ほど前から「森林資源に関するU字仮説」として提唱している。
永田教授によると、狩猟採取の段階では森林減少はほとんど見られないが、農耕段階になると農地を求めて森林が切り開かれ、工業段階で減少は加速する。日本では明治時代ごろにかけて、世界では今のブラジルやインドネシアなどが、この段階にあたるとみられる。
ただ、工業化がさらに進むと反転する。日本では大正時代ごろ、米国は遅く1980年代に森林面積は増加を始めた。中国などの一部途上国では現在、植林が展開されている。
永田教授は「悪化しないと人間は森林の重要性に気づかない」と指摘する。
農地の必要性は変わらない。地球温暖化や資源の枯渇を考えると、化石燃料にいつまでも頼っているわけにはいかず、木材の需要は増大する可能性が高い。U字を描いて完全に回復するのは難しい情勢だ。
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■消えた老人問題 2010年09月30日
朝日新聞に連載されている東浩紀の「論壇時評」に違和感を覚えた。それは次のようなことである。
東によれば、松原隆一郎は、「戦後日本」は「福祉は基本的に共同体が担うべきもの」という「共同体主義的な思想」を涵養してきたとし(①)、そうした認識を根拠に、福祉に「国が介入すべきではない」と主張しているという(②)。東は松原の歴史認識を前提にしつつも、今そうした「共同体主義的」な基盤が揺らいでいると捉える(③)。
私が違和感を覚えるのはその歴史認識と現状認識の両方である。まずは歴史認識から。戦後の日本は、はたして「福祉は基本的に共同体が担うべきもの」といった「共同体主義的な思想」を涵養してきたのだろうか。そして、それは、福祉に対する国家介入の拒否を導き出し得るような思想なのだろうか。
このような疑問が湧いてくるのは、戦後人々はどれほど国によって福祉を保障されてきたのか、と思うからである。むしろ、戦後の歴史は、人々が国家に福祉を求め続け、にもかかわらず、繰り返し裏切られ続けてきた歴史のように思えてならない。
しかもそれは、「共同体主義的な思想」というよりは、国家に期待し得ないがゆえの「自助努力」「自己責任」の思想だっただろう。そして、それこそ国家が国民に求めてきた思想だったのではないか。国民の多くが、「福祉は基本的に共同体が担うべきもの」、福祉に「国が介入すべきではない」と考えてきたとは思えないし、今もおそらくそのようなことを求めているわけではないだろう。
次に、「国家を補完すべき家族や地域がいままともに機能していない」(②)という東の現状認識について。このような見方の前提には、かつては家族や地域が福祉機能をきちんと果たしてきたという認識がある。確かに戦後、とくに1970年代以降、家族や地域は国家を補完すべきものとして捉えられ、そうした役割を割り振られてきた。だが、家族や地域が実際にそうした役割をきちんと果たした時代があっただろうか。「消えた老人問題」など、かつては存在しなかったというのだろうか。私にはどうもそうは思えない。
東は「人々が、家族や地域など、共同体の精神的な機能に絶望し始めている」ともいう(③)。「消えた老人問題」から、どうしてそこまで言えるのか、私にはかわからない。
確かに「消えた老人問題」は衝撃的だった。だが、「消えた老人問題」があぶり出したのは、機能を果たし得なくなった今日の家族の姿ではないだろう。行き倒れや行方不明者・失踪者を除いて、国民一人一人の生死を掌握しているかのように思われていた国家管理が、実はこの程度のものだったということだ。(2010.12.3)
【記事】(論壇時評)消えた老人問題 よりどころ、どこに求める (東浩紀)
@朝日新聞 朝刊 2010年09月30日
去る7月末、東京都足立区在住の111歳とされていた老人が自宅で遺体で発見された。この事件を皮切りに、所在不明の高齢者が千人以上いることが発覚、住民票や戸籍を介した生死情報の把握が予想外に杜撰であることが明らかになった。いわゆる「消えた老人」問題である。
高齢化に対応した福祉の拡充が求められるなか、住民情報の正確な把握はその基礎の基礎である。この事件はその屋台骨を揺るがせた。再発防止のため、社会保障番号の導入など制度の改善が図られるのは当然のように思われる。
ところが松原隆一郎(1)は異議を唱える。松原によれば、日本は確かに行政の国民捕捉率が低いが、他方で「国からの管理はルーズなところがあったほうが自由でいい」という考えもまた広がっている。その感覚を支えるのは、①戦後日本が涵養してきた、福祉は国家よりも家族や企業、地域などが担うべきだとする共同体主義的な思想である。松原はその伝統を評価する。したがって国家による情報管理の強化に反対する。福祉は基本的に共同体が担うべきものであり、そこから離脱した老人が孤独死したとしても国が介入すべきではない。それが松原の主張だ。
うなずける部分もあるが、疑問は残る。②「消えた老人」問題が炙り出したのは、そもそもが、国家を補完すべき家族や地域がいままともに機能していない、いやそれどころか、斎藤環(2)が指摘するように福祉実現の「壁」として機能しているという現実ではなかったか。確かに、かつて人々が国から自由でありたいと願ったのは、国とは別によりどころがあったからだろう。しかし、いまその前提こそ壊れているとすれば?
今年に入り、急速に注目を集めている社会思想、ベーシック・インカム(BI、国民全員への無条件一律現金給付)の議論がじつはここに関係している。今月は「エコノミスト」と「POSSE」が特集を組んだ。
BIについて、まず焦点となるのは実現可能性である。日本におけるBI研究の第一人者、小沢修司(3)(4)は双方の特集冒頭に登場し、BIの理念を語るとともに、月額8万円の現金給付が現在の日本の経済状況でも十分に実現可能であるとの試算を提示している。
経済全体への影響はどうだろうか。橘木俊詔(5)はBIの導入は労働意欲を阻害し経済成長を鈍くすると懸念するが、飯田泰之(6)は逆に、BIは人材流動化を促進し、労働環境を改善するので成長につながると主張する。BI導入により経済が崩壊するのであれば、むろん小沢の試算も成立しない。議論の成熟を待ちたい。
しかし、かりにBIが財政的に実現可能だとして、また経済政策として有効だとして、導入する「べき」かどうか。それはおのずと別の話になる。この点で注目すべき議論を展開しているのが萱野稔人(7)である。
萱野は、BIの導入は働きたくないひとを救うことはできるが、「働きたいけど働けない」ひとは救えない、その点で致命的な欠陥があると論じる。労働は多くのひとにとって、単なる生活費確保の手段ではなく、他人からの承認の証しという重要な役割を担っている。したがって、生活保護や年金を現金給付に一本化し、弱者を労働から解放することは、結果的に彼らから承認の場を奪い、社会の「包摂」(心のつながり)の機能を著しく阻害してしまう。それゆえ、BIは導入すべきではないと言うのだ。
重要な問題提起だが、ここでは松原論文との共通性だけ指摘しておこう。萱野が懸念するのは要は、BIを口実に、国家が国民の精神的なケアから手を引くことだ。他方で松原は、その役割は本来共同体のものなのだから、国家は過剰に手を出すなと論じている。
一見対照的に見えるが、じつは両者の主張は意外と近い。③いまBIの思想が広がりを見せている背景には、人々が、家族や地域など、共同体の精神的な機能に絶望し始めているという現実があるからである。萱野と松原がともに憂慮しているのは、まさにそのような状況、人々がもはや社会に「包摂」を期待しなくなり、ドライな富の再配分しか望まなくなってしまうことに対してなのではないか。
家族や地域の安易な再興は望めない。しかし、ではそこで家族や地域抜きの社会保障が可能だったとして、そのときひとはだれに承認され、どこに居場所を求めるのか。前出の斎藤の言葉を借りれば、「家族依存型社会」が壊れたあと、人々はどこに依存の場を見いだすのか。現代日本の状況は、思想的にも実践的にもじつに厄介な課題を突きつけているのである。(以下略)
〈1〉「問題とすべきは年金詐欺のみ」(中央公論10月号)
〈2〉「ひきこもりと所在不明高齢者」(毎日新聞8月29日付)
〈3〉「『自助』が機能しない時代には新しい社会保障の仕組みが必要だ」
(週刊エコノミスト9月21日号)
〈4〉「BIと社会サービス充実の戦略を」(POSSE vol.8)
〈5〉「働ける人、高額所得者にも支給する違和感」
(週刊エコノミスト9月21日号)
〈6〉「経済成長とBIで規制のない労働市場をつくる」(POSSE vol.8)
〈7〉「ベーシックインカムがもたらす社会的排除と強迫観念」(同)
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■殺人認知件数戦後最少 2010年1月29日
2010年1月15日の朝日新聞朝刊の「殺人自然、戦後最少 昨年1097件」という小さな記事を読んで驚きました。「戦後最少」に驚いたわけではありません。警察庁は「ネット社会となり一般社会と接触を持たない人が増えたことも殺人が減った一因の可能性がある」と推測する、というところです。
これまでネットは「犯罪の温床」であり、ネット社会は犯罪を秋葉原事件のような殺人事件を増加させる要因であるかのように言われてきたというのに、ネット社会が殺人を減少させる要因だとは!?
警察庁は本当にそんなことを考えているのでしょうか!?
ともあれ、ネット=殺人の増加といった図式が、いかにいいかげんなものかが明らかになったとも言えます。もっとも、ネット社会=殺人の減少もあまりにいいかげんですが。
それに、警察庁が言ったとされる「ネット社会となり一般社会と接触を持たない人が増えた」という言葉もヘンですね。殺人の減少が、悪いかのようです。
もっとヘンなのは、朝日新聞「天声人語」の記事です。これは2チャンネルあたりでも、ヘンだと話題になっていました。
どうしてもネット=悪にしたいかのようです。
残念ながら、冒頭に取り上げた朝日新聞の記事は、ネットになかったので、サンケイの記事を載せてあります。サンケイは警察庁の言葉を朝日のようには報道していません。朝日の記者は、「ネット社会」という言葉に飛びついたんでしょうね。「天声人語」も。(2010.2.9)
【記事】「天声人語」
@朝日新聞 2010年1月29日
警察庁によれば、全国で去年に起きた殺人事件は戦後最少になった。皮肉なことに、ネット社会で人間関係が希薄化したのが一因という可能性があるそうだ。特定の相手への動機が生まれにくい。そうなったで今度は、「誰でもよかった」が目立っている。
【記事】刑法犯7年連続減少 殺人は戦後最少1097件
@産経新聞 2010年1月15日7時56分
昨年1年間に全国の警察が認知した刑法犯の件数は、前年比6・3%減の170万3222件で、7年連続の減少となったことが14日、警察庁のまとめで分かった。コンビニ強盗の伸びが目立つが、未遂を含む殺人は前年比で15・4%減の1097件と、戦後最少となった。検挙率は32・0%で0・5ポイント上昇した。
昨年1〜6月の上半期に急増したひったくりは、街頭犯罪対策を強化した結果、下半期に大幅減。通年では前年比で0・6%減の1万9036件だった。
取り締まりを強化した振り込め詐欺の件数が減少したため、詐欺全体の認知件数も29・9%減の4万5167件となった。
コンビニ強盗は46・6%増えて896件。統計を始めた平成16年以降で最多となった。
刑法犯認知件数の減少について、警察庁では「国民の防犯意識が高まり、自主防犯活動も活発になった。政府全体で犯罪抑止に取り組んだことも大きかった」としている。
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■もはや戦後ではない 2009年12月02日
面白いコラムをみつけた。これを読んで、私も誤解していたと思った。で、経済白書や中野好夫さんの文章を読んでみたのだけれど、どうもよくわからずじまいでした!? (2010.13.3)
【記事】検証昭和報道:162 高度成長と東京五輪:1もはや「戦後」ではない
@朝日新聞 夕刊 2009年12月02日
「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった1956(昭和31)年――新聞でもよく使うフレーズだ。どこか誇らしげな言葉として。しかし白書は、戦後の悲惨な生活が終わった、と書いたわけではなかった。
「経済白書 経企庁発表 戦後の特殊状態終る」(56年7月17日付朝日新聞)
白書は「戦後経済最良の年」といわれた55年度を分析。物価は上がらず輸出は好調。戦時の最高水準に、1人あたり実質国民所得は並び、鉱工業生産は上回った。「しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かつた」から、はい上がるのも急だった、今後は成長が鈍るおそれがあり、近代化が必要だと説いた。結語にこうある。
「もはや『戦後』ではない。われわれはいまや異った事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終った」
いつまでも「戦後」にもたれかかることを、戒めたものだ。朝日の社説も評価していた。「なお幾多の問題を残してはいる。しかし……なにかといえばその責を戦争に帰したがる従来の態度をすてて、新たな経済発展の原動力を創りだす方向を打ち出すべきことを勧奨しているのは……当然のことであるといえよう」
有名な一文にはルーツがある。この年の正月に出た「文芸春秋」2月号に、評論家の中野好夫が書いた文章だ。題名がずばり、「もはや『戦後』ではない」。犯罪まで「戦後」という便利な言葉で片づける風潮から脱し、かつての帝国の夢は捨てて、小国として、人間の幸福にむかう新しい理想を探る時ではないか……。
「中野さんの文は意識の話だったのに。経済白書に使われて、そこだけ切り取られて、違う意味になっていった」。当時、文芸春秋編集部にいた作家の半藤一利(79)はそう話す。
白書は反発を招いた。「暮しの手帖」編集長の花森安治は「ばかにしなさんな」と朝日に書いた。「『もはや戦後でない』といった例の太陽族みたいな言葉が出てくるが、そのくせ、国民の住いは、まだ足りないと書いてある。……戦争のおかげで、したくもない間借り暮しからぬけられないのに、『経済』だけが、どうして『もはや戦後でない』のか、分らない」
白書の筆者、経企庁の後藤誉之助(よのすけ)は、朝日で弁明した。しかし10月には厚生白書が、低所得階層が1千万人近くいる、と格差を指摘した。
2年後、中野は文芸春秋に書く。戦争の傷跡はあちこちに残っている。なおしかし……と自分は説いたのに、と。「近ごろこれほど不幸な誤解の中に立たされた言葉はない」(敬称略)
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■ 児童虐待 2009年9月30日
朝日新聞で最近2回、全国児童相談所長会の虐待調査の結果が取り上げられました。どちらも、 帯金真弓記者によるもの。9月30日の記事はなぜか、ネットに載っていなかったので、9月9日の記事のみ掲載しました。
9月9日の記事は、虐待を行った保護者が「助け」を求めているということをアピールしたもの。9月30日の記事も、やはり「社会的な孤立」から保護者を救うことによって、子どもの命を守るという視点で書かれています。
このこと自体は重要だとは思うのですが、やはりどうしても気になってしまうのは、なぜ経済的な問題を大きく取り上げないのかということです。
9月30日の記事では、「虐待者が実母の場合は、不明や無回答を除くと半数が生活保護世帯か、住民税の非課税世帯だった」とあります。これはとても重大なことではないでしょうか!?
同記事では、「今回の全国調査で、情報から孤立し、子育てに悩む若い親像が見えてきた」という、研究班代表・河津英彦(玉川大)のコメントを紹介しています。
ですが、この調査を通じて明らかになったこととして新聞で取り上げるべき問題は、そういう問題かなと思います。 経済的な問題を考慮にいれないで、「若い母親像」を作 り上げるのはおかしいのではないでしょうか? (2009.9.30)
【記事】虐待の背景 社会的孤立 全国の児童相談所調査まとめ
@ 朝日新聞 朝刊 2009.9.30
【記事】重度虐待した保護者の3割、助け求める 児相所長会調査
@ 朝日新聞 夕刊 2009年9月9日
命にかかわるけがを子どもに負わせたり、育児放棄で極度に衰弱させたりする深刻な虐待をした保護者の約3割が、虐待を認めて援助を求めていることが、全国児童相談所長会の調査でわかった。専門家は丁寧な支援や介入策で虐待の一部を防止できると指摘している。
おおむね10年ごとの調査で、全国規模では初めて被害を深刻度別に調べた。全国の相談所197カ所のうち195カ所が回答。08年4〜6月の相談のうち、虐待を受けたと確認された子8108人について調べた。
このうち、命にかかわるけがや栄養不良による衰弱など「生命の危機あり」は129人、継続して治療が必要なけがや性的虐待など「重度虐待」は468人だった。
「生命の危機あり」とされた子を虐待した保護者のうち、相談所側が「虐待を認めて援助を求めている」と判断した保護者は31%に上った。主な虐待者は実母が59%と最も多く、実父が24%。子どもは1歳未満が40%を占めた。
「重度虐待」をした保護者では、25%の保護者が援助を求めていると判断された。虐待した保護者全体では19%。深刻な虐待をした保護者ほど、助けを求める傾向が強かったことになる。
調査結果を分析した日本社会事業大専門職大学院の宮島清准教授(児童福祉学)は「虐待をする親は援助を拒否し手に負えない、との先入観で見られがちだが、調査結果は、保護者を支える人たちがSOSを見逃さずにかかわっていけば守れる命があることを示している」と指摘する。保護者の同意を得て訪問を続け、話ができる関係を築くなどの支援が考えられるという。
ある児童相談所の職員は、大声で子どもをしかっているとの通報で駆けつけたところ、保護者から「困っていたんです」と打ち明けられた経験がある。「母子だけで家に閉じこもったり、一人親で生計を立てるので精いっぱいだったり。相談できる人がおらず、情報に疎遠なケースが多いと感じる」と言う。
別のケースワーカーは「泣いたりぐずったりする赤ちゃんを静かにさせようと、ゆすったり投げたりしてしまう例も少なくない」と話す。
所長会の調査では、虐待につながると思われる家族や家庭の状況も調べた(複数回答)。最も多かったのは「経済的な困難」(33%)。「虐待者の心身の状態」(31%)、「ひとり親家庭」(26%)と続いた。
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■貧困調査 2009年7月30日
ニュースというには、取り上げるのが遅すぎるのですが、次のような新聞報道がありました。厚労省が2010年度から、40数年ぶりに貧困に関する調査を再開するということ。それはとても歓迎すべきことだけれど、なぜこれまで貧困を放置してきたのか、貧困に対する「無策」について、きちんと「反省」して欲しいと思う。(2009.10.28)
【記事】貧困実態を調査、不況受け厚労省 1960年代以来の実施
@ 東京新聞/共同通信 2009年7月30日 21時07分
厚生労働省は30日までに、不況で生活が厳しくなっている低所得の母子家庭や高齢者の世帯、ホームレスらを対象にした貧困の実 態調査を、2010年度に実施する方針を固めた。
政府は高度成長期だった1960年代前半以降、低所得の世帯関する広範で詳細な調査、分析は行っておらず、一部の市民団体や 有識者らは「40年以上も貧困の実態解明を怠っている」と批判していた。
大村秀章厚労副大臣は、雇用、経済情勢の悪化を踏まえ「貧困、格差が課題と指摘されており、今後の取り組みの参考にしたい」と調査実施を事務方に指示。民主党も母子家庭などの生活状況を詳しく調べるよう求めていた。
厚労省は、10年度予算の概算要求に調査に必要な予算を盛り込 む考え。 厚労省が世帯ごとの平均所得や人員構成を調べるため毎年実施している国民生活基礎調査のデータを活用する。例えば、低所得で生活保護を本来受給できるのに受けていない世帯などのデータを詳しく分析することを検討している。