■児童虐待について考える

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 親へのまなざしが厳しくなった  2006.47


 児童虐待が「増えている」「深刻化している」とよく言われる。

 青少年の凶悪犯罪については、実は1960年代、70年代よりも、はるかに減っているということは、最近かなり知られるようになった。この点は、広田照幸氏や滝川一廣氏の著作に詳しい。
 だが、児童虐待については、「増えている」というのが、研究者の間でも、新聞報道でも常識となっている。私としては、とてもそうは思えないのだが。私が「児童虐待は増えていない」と思う理由については、別のページで書きたいと思う。

 児童虐待が増えているという根拠は、主に児童相談所に寄せられる相談件数の急増である。児童虐待や嬰児殺について、先駆的な研究を続けてきた刑法学の中谷瑾子氏は「児童虐待の相談件数は増え続けており、年間35000件の児童虐待が発生していると推計されている現状です」と述べている(中谷他『児童虐待と現代の家族』信山社2003年「はじめに」)。

 だが、かつて中谷氏はこんな単純な見方はしていなかったのではないかと思う。中谷氏が1973年に書いた「『核家族化』と嬰児殺し」は、私としてはとても参考になった(『児童虐待を考える』信山社2003年所収)。この論文によると、1972年は、嬰児殺が新聞などで大きく報じられ、「母性本能の崩壊」として社会問題になった年だという。

 そんな中、中谷氏は嬰児殺は実は減少傾向にあり、新聞報道の急増とは一致しないこと、当時言われたウーマンリブや母性本能の崩壊が嬰児殺しの原因ではないこと、東京の女性の嬰児殺しがニューヨークに比べて非常に多いという国際心理学会での報告には根拠がないことを具体的に明らかにした。

 なので、前掲の中谷氏のことばは、私にはとても意外だった。 児童虐待に関する相談件数の増加と児童虐待の「増加」をつなげるような単純な見方は、児童虐待について早くから 緻密な研究を行ってきた中谷氏のことばとは、とても思えなかった。

 1982年発行の中谷編『子殺し・親殺しの風景』(有斐閣選書)の中で、栗栖瑛子死は、子殺し等に関するデータを丁寧に分析している。その中で、栗栖氏は児童相談所の相談受付件数や施設で養育される子どもの減少から、日本の親たちは、自分の子供の養育に一生懸命であることがわかります」 と述べている(「子殺しの風景の推移」73頁)。

 1980年代までは、まだ栗栖氏のように、専門の間で親に対して「同情的」「肯定的」な見方もあったのかもしれない。だが、中谷氏がそうであるように、今やほとんどの専門家は、親に対して厳しいまなざしを注ぐ。それは、中谷氏の著作の中に以前から散見された「いいかげんな親」「身勝手な親」による虐待という認識が、広がったからではないだろうか。貧困や家庭崩壊などによる止むに止まれぬ虐待から、自分勝手な理由による虐待へというように、虐待の「質」が変わったと捉えられるようになったのである。

 だが、こうした分析枠組み自体の妥当性は、具体的に検証されてきたと言えるだろうか。「いいかげんな親」というのをどのように認定するのか。また、「いいかげんな親」が増えてきたと、どのように証明するのか。分析する側の心象を証明するに足るだけの客観的な根拠はあるのだろうか。こうした点を論証しないまま、「質」が変わったというのは、研究として不十分であるだけではなく、罪深いと思う。

 戦後の虐待事例については、以下のサイトがとても参考になる。今のようなヒドイ親は昔はいなかったと思っている方は、ぜひご覧いただきたい。

 少年犯罪データベース 
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/13714179.html