【核家族論2】
「核家族化」はいつから「問題」になったのか 2007.1.14




1971年版厚生白書

 厚生労働省の「白書等データーベース」
に「親子」というキーワードを入れて検索してみた(1956年以降の厚生白書)。
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm

 親子関係一般に関する記述が登場するのは、1971(昭和46)年版の『厚生白書』においてである。それ以前は、母子世帯における親子心中(1956年)、親探し運動(1957年)、児童福祉施設に入所している児童の親子関係(196163196566年)などが載っているだけである。

 それが、1971(昭和46)年版白書のテーマは、「こどもと社会児童憲章制定20年」。この白書では、親子関係や子どもの家庭について、数々の問題が指摘されている。用語は多少違うが、今日言われていることと、ほとんど変わらないように思える。

・離婚の増加や夫婦間の精神的な交流が円滑でない家庭        
・児童の養育に自信の持てない親
・母親の育児ノイローゼ
・子殺しや親子心中が19701月〜714月までで72
・母親の過度の教育熱心、教育ママ、過干渉
・家庭において無頓着、不干渉な父親、父親不在
・世帯規模の減少、核家族化
・共稼ぎ、出稼ぎによる親子の接触時間の少なさ
・きょうだい数が少なく、ひとりっ子が多い。ひとりっ子への保護過剰・溺愛
・親子の会話の不足
・共稼ぎの増加により留守家庭、かぎっ子が増えている
・しつけの低下
・情報化、テレビっ子

 「教育ママ」が言われるようになったのは、1960年代とされるが、白書は「教育ママ」について、次のように述べる。

 児童の遊ぶ時間を奪い、学習塾でつめこみ教育をすることが、児童の人格形成のうえに悪影響をもたらし、それがひいては情緒障害、登校拒否、小児ノイローゼなどを招いていることは、児童相談所でしばしばみられるケースである。大阪府の「いわゆる教育ママの実証的研究(435)」によつても、母親が過度に干渉するほど、児童は反抗的になることが知られている。〔総論第2章第11

 父親と子どもとの「会話の不足」についても書かれている。A.ミッチャーリヒの『父親なき社会 : 社会心理学的思考』が出版されたのは1972年(小見山実訳、新泉社)。70年代は「父親不在」が問題にされるようになった時代である。

 父親からすれば、濃密労働、遠距離通勤などによる疲れ、時間不足などが対話を不十分なものとしているという事情もあろうが、父子の対話不足は、父子の心理的距離を拡大する一方である。〔総論第2章第1節3〕

 1970年に15歳だった人は、2007年には52歳になる。上記の家庭教育の問題は、今、50代の人たちが子どもの頃から言われている問題なのだ。


問題としての核家族

 
71年版白書には、次のように、核家族化を問題視する見方も登場する。
 
 家庭環境をめぐる最近の持続的な変化としては,世帯規模の縮小と核家族化の進行により、きょうだいに恵まれぬ児童、祖父母との接触がない児童がふえており、多角的な人間関係のなかで育つ機会に乏しいことがあげられる。〔総論序章4

 現在の都市生活においては、父親は大部分家庭外の職場で働き、のちにみるように子との接触時間はきわめて少ない。特に、共かせぎの場合であれば、子は生活時間の多くを両親との接触なしに過ごすことになる。農村においても、出かせぎが父親不在を常態化している。これらの場合でも、かつての直系家族的生活様式のもとでは、家庭内の誰かがその保護を補完していた。また、しつけ面においても、かつては家族構成員がそれぞれ役割を分担していたが、現在の若い夫婦は、かつて他の世帯員が分担していた役割のすべてをにないきつてはいないようである。〔総論第2章第12

 1971年版白書において、世帯規模の縮小と核家族化により、きょうだいや祖父母との接触が減少し、多角的な人間関係の中で育つ機会やしつけが不足しているといった、今日につながる見方が登場したのである。
 だが、今日の核家族批判と少しニュアンスが違う面も見られる。それは、次のように言われている点である。

 世帯規模の縮小と核家族化は、すでに述べたように必至であるが、わが国の場合は、家制度を中核とした直系家族的生活慣習が長い間支配的であつたために、これらの変化に適応した新しい家庭がまだじゆうぶんに定着していないといえる。〔総論21節2〕

 つまり、①世帯規模の縮小と核家族化は都市化や近代化にともなうもので、「必至」だと捉えられている、②核家族そのものの問題というより、直系家族から核家族への急速な変化に対応できていない点に問題があると認識されているのである。

 

1960年代の核家族

 
1960年代は、このような捉え方が厚生省の基本認識だった。1963(昭和38)年版には、大家族制から小家族制への移行について、次のような記述がある。子どもの養育の問題は、「過度的段階としての一種の混迷状態」ゆえの問題だというのである。

 長い世代にわたつて伝承されてきた日本の家族制度は第二次大戦の終局とともに急速度でくずれ去り、戦後の家庭は戸主中心から夫婦中心に、大家族制から小家族制へと大きく転換している。家庭養育において戦前経験した権威服従の姿勢がくずされ、いわば無準備のままに愛情と、理解に基づく近代的養育方式に対応させられたために、今日では親が養育において過度的段階としての一種の混迷状態にあるといえる。こうした家庭の意識的変化とともに家庭養育の障害となる家庭の基礎的条件として低所得、不安定所得、住宅事情、近年とみに増加しつつある母親の就労の問題等がある。〔第11・3(5)〕

 「核家族」をキーワードに検索すると、「核家族」が最初に登場するのは、1962(昭和37)年版である。だが、これは、「就業構造の近代化」の項目であり、家族問題ではない。家族に関して、まとまった記述になっているのは、1964(昭和39)年版である。
 1964年版白書は、「家族の分化・核家族化の進行に伴う問題点」として、「若い、生活経験の乏しい家族」の増加や、「家族の分化によって生ずる老人家族、母子家族その他のハンディキャップをもつ家族」や「かぎっ子」などを挙げている(第142節)。
 だが、この時点では、核家族化そのものが子どもの養育にとって問題だとは見なされていない。それは、次のように、核家族化=近代化であり、時代の必然的な趨勢であると捉えられているからだろう。

 核家族化の傾向は、欧米近代家族特に都市家族の基本的な特徴であるといわれる。わが国においても、最近このような核家族の増加が大きい。〔第1部第4章第2節〕

 1969(昭和44)年版もまた、核家族化は「経済社会の近代化の結果として起こる現象」〔総論第2節1(1)〕と指摘し、「児童の養育機能の不安定」は過渡的な問題と見ている。

 家族制度が維持されていた戦前においては、父親は家の長としての威厳を持つて家族に臨んでいた。戦後、家族制度の崩壊、被用者世帯の増大、父親の座の低下というような一連の社会情勢の変化が続いて、わが国は、家庭の中で母親が漸次児童養育の中心的役割を果たすようになつた。このような傾向は、母親の就労の機会の増加や病気などによつて、養育に欠ける児童の増加をもたらすなど家庭における 児童の養育機能の不安定 を招いている。また、養育方針についても、戦前にあつた国家中心、家中心という精神的支柱はなくなり、家庭の両親はそれにかわるべき確たる自信のないままに児童を養育していつた。また、一方において、児童に対する過度の期待が、いわゆる教育ママの出現をよんだともいえるであろう。 〔総論第2節1(2)〕
                                   
 子どもの養育に関する問題を「過渡期」として捉えていたのは、厚生省だけではない。1970年代はじめまでは、研究者の間でもそうした認識が持たれていた。青井和夫は次のように述べている(「現代日本の親子関係」『東京大学公開講座 親と子』東大出版会 1973年)。

 現在のわが国の親子関係の混乱は、具体的には親にも子にもそれぞれいたらない点はあるけれども、結局のところ直系家族から夫婦家族への転換期の産物であるように思われる。(23頁)

 つまり、1960年代の厚生白書では、「母親の就労」や病気による「養育に欠ける児童の増加」や「欠損家庭」など、核家族のもつ脆弱性は問題とされていたが、核家族化そのものは問題とされていなかった。「児童の養育機能の不安定」も指摘されているが、それは家族制度の崩壊にともなう「過度的段階としての一種の混迷状態」として捉えられていた。核家族こそ近代社会における家族の基本的な形態であると見なされていたがゆえに、核家族化自体が養育機能の低下につながるとは考えられていなかったのである。


1971年白書以後

 
1971年白書は、こうした60年代の認識をなお引きずっている。だが、71年白書以降は、核家族化自体が家庭の養育機能を変化させたと見なされるようになる。
 1973(昭和48)年白書は、かなり控えめで慎重な書き方をしているものの、核家族化が「家庭の機能」に変化を与えたと言う。

 児童の家庭環境についてみると、世帯規模の縮小、核家族化の進行は、家庭の機能そのものにも変化を与えており、なかには、家庭の果たすべき本来的機能であると考えられるしつけというような養育機能が低下している事例もみられる。(各論第4編第1章第1節)

 1974(昭和49)年白書では、なお微妙な書き方が残るが、よりネガティブに核家族化=家庭の教育機能の変化が打ち出されるようになり、逆に、「伝統的な直系家族的形態」がポジティブに描かれるようになる。
 「祖父母と孫」の頁で書いたように、1960年代までは、3世代家族の複雑な人間関係が子どもの成長発達を阻害すると捉えられていたが、こうした認識は180度転換する。つまり、直系家族の構成が「複合的」であることこそが、重要なものとして描かれるようになったのである。

 それまでの伝統的な直系家族的形態は、その構成が複合的であり、かつ、人数も比較的多かった。そこでは、良い意味でも悪い意味でも家族どうしの親密な結合が要求され、相互に補完されていた。このような家族は、核家族化の進行とともに解体が進み、その結果、家庭の機能、あり方も大きく変った。そして、児童にとっても、家庭のもつ意味、機能は、大きな変化をもたらした。
 第1に、児童にとって、それまでの家庭がもっていたような祖父母、兄弟等と接することによる人格形成が不可能となり、逆に、父又は母といった極めて限定された人との結びつきが強くなったことである。このことは、児童がより一層両親の人格に強く影響される可能性が強まったという意味で、あらためて親の側のあり方が問われることとなるが、事態は必ずしも好ましくなく、特に親による甘やかし、保護過剰、無関心、放任など、さまざまの問題を生じさせることとなった。 〔総論第2章第3節1〕

 こうした核家族化批判を徹底したのが、国際児童年に向けて出された1979(昭和54)年白書である。同白書は、「最も重要なことは、親子の関係が昔とは大きく変化するなかで多くの親がしつけについて困難を感じるようになったことであるる」と述べ〔総論第2章第122)〕、結論的に次のように言う。

 子供を取り巻く家庭、社会環境は近年大きく変化してきた。すなわち、家庭においては、核家族化と子供数の減少、これは親の関心を子供一人一人に集中させ、子供を大切にし過保護に育てる、子供に対して親の影響(長所・短所)が単純で直接的な働き方をする。兄弟間の関係から得られていた社会的勉強・経験の不足化、親の留守の機会が多くなり、子供が孤独に陥る機会の増加などの傾向を生んだ。また、時間と金にゆとりを生じ、それを子供へ過剰に打ち込む傾向、親の子供に対する甘やかし、過剰な期待と干渉、母親主導型父親従属型教育、子供のペット化、親子の情緒的結合の不足化などの傾向が言われている。〔総論第2章第2節〕


 子どもの養育において、核家族化が問題にされるようになったのは1970年代初頭である。だが、なお、核家族化=近代化の必然という枠組みが残っていた。そうした理念や枠組みが語られなくなり、核家族化自体が子育てやしつけの問題の様々な要因として捉えられるようになるのは、1970年代半ばである。
 それ以後、今日に至るまで、30年以上も、核家族化は様々な教育問題・子ども問題の要因として語られ続けている。