【本の紹介】
 お進めの本を紹介します。

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                                 東京国立博物館のユリノキ 2012.5.6


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本田由紀他『ニートって言うな!』光文社新書 2006
 昨年の授業で、関心のあるテーマを選んで書きなさいというレポート課題を出したところ、ニートに関するレポートが多くて驚きました。その多くは、今の若者はコミュニケーション能力がない、働く意欲がないといった若者批判。自身若者であるはずなのに、「今の若者は」というような論調ばかりなのが不思議でした。 
 なので、今年の授業では、この本をテキストとして使うことにしました。学生からは、「ニートのイメージが変わった」「マスコミ報道を鵜呑みにしていたことがわかった」といった感想が寄せられています。(2006.526

                          

パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス 2004
 遅ればせながら読みました。お笑い系の本なのですが、きちんと裏付けのある議論をしています。青少年犯罪、少子化、コミュニケーションなどについて、「そうか」「そうきたか!」といった、論理展開の面白さと発見があります。 電車の中で読みながら、思わず何度かクスクス笑ってしまいました。独特の文体がクセになりそうで、コワイ。
 とくに、スーぺー(スーパー・ペシミスト)への批判が面白かったです。今の若者はキレやすいとか、現状を限りなくペシミスティックに描き出す議論、つまりスーぺーは、現状認識として根拠がないだけでなく、多大な害悪も。なぜ子どもや若者や家族がこんなに悪く言われるのかが、ずっと疑問だったのですが、 マッツァリーノさんによると、「子どもが悪くないと文部科学省も警察庁も厚生労働省も困るんです」ね。 (2006.528) 
  マッツァリーノさんの第2弾『反社会学の不埒な研究報告』(二見書房、2005年)も、つい読んでしまいました。でも、悪乗りが過ぎて、薄まってしまった印象。もちろん、よく調べていて、面白いところもけっこうあったのですが。(2006.610


滝川一廣『新しい思春期像と精神療法』金剛出版 2004
 滝川さんは、このところ洋泉社新書ですっかりメジャーになってしまいましたが、とても地道に堅実に仕事をなさっている印象。勝手ながら、私の最も信頼する精神科医です(面識はありませんが)。滝川さんの文を読むと、しっとりとした気分になります。
 いつか〈思春期〉について調べて見たいと思っていました。思春期の発達課題として心理学的、教育学的に言われていることが、私にはどうも分からないからです。 そこで、信頼する滝川さんに、精神医学では思春期はどのように捉えられているのかを教えてもらおうと思ったわけです。はたしてそもそも人間には〈思春期〉なるものがあるのか。この点については、長くなりそうなので、エッセイで書き直したいと思います。


小沢牧子『「心の専門家」はいらない』洋泉社新書y 2002
 おそらく、発想が「社会系」の私のような者には、分かる分かると思って読んでしまう臨床心理学批判の書。 臨床心理学の専門家から、やっとこういう本が出たかという印象でした。 ですが、専門家からすると、やはりこの本は受け入れがたい異端の書なのでしょうか。
 一時期私も、精神分析のハウツー本などを読みあさったことがありました。その時は、おかげで自分の心境や発想を整理、分析できるようになった気がしました。ですが、その後、妙な違和感を覚えました。心理学や精神分析の枠組みで、ものを見たり、対人関係について考えたりするようになった気がしたからです。つまり、自分の発想が心理学に枠づけられるコワサを感じたわけです。
 もちろんこうしたことは、どの学問分野でもありうることですが、 生身の人の「心」を直接分析対象とする 臨床心理学は、よりリスキーな気がします。この本は、臨床心理学の持つこうしたリスクをよく捉えていると思います。(2006.525


三島亜希子『児童虐待と動物虐待』青弓社 2005
田間泰子『母性愛という制度子殺しと中絶のポリティクス』勁草書房 2001

 児童虐待については、非常にたくさん本が出されていますが、私がとても参考になったのはこの2冊です。
 児童虐待や子どもの殺人被害など、子どもが犠牲になる問題を扱うことはとても難しい。三島さんの著作を読むと、その苦悩がよく伝わってきます。その難しさというのは、〈児童虐待はひどい→何(誰)が悪いのか→何とかしなくてはいけない〉という倫理的、道徳的発想にどうしても縛られるからです。三島さんの著作は、そうした倫理感を共有しつつも、道徳論に禁欲的になることによって、虐待の歴史を冷静に分析した数少ない研究書であると思います。
 田間さんの著作は、緻密な分析力に脱帽。戦後、新聞が子殺しや中絶をどう報じてきたのかを分析しています。田間さんによれば、1970年代前半、母親による子殺しが「母性喪失」としてさかんに報じられた後、1970年代後半には、そうした言説は新聞紙上から急速に消滅していきます。
 確かに、今日の虐待報道を見ても、「母性喪失」などといった言葉は見られません。かわって言われるのは、都市化や核家族化による「家庭の教育機能の低下」。ですが、〈加害者=母〉と〈被害者=子〉という「排他的な意味関連」は「声高に語られなくなっただけ」で、「底流として生き延び」ていると田間氏は指摘しています(94頁)。児童虐待問題は、いまだに基本的には母親問題、女性問題なのです。(2006.4


石原千秋『学生と読む『三四郎』』新潮選書 2006
石原千秋『大学生の論文執筆法』ちくま新書 2006

 1年生の演習を担当しています。その演習で、学生が文章を書けるように指導しなくてはならないのですが、どうもうまくいかず四苦八苦しています。文章表現以上に、テーマとはどうものかとか、考えるとはどういうことかといったことをつかませることが難しい。それで、苅谷剛彦『知的複眼思考法』(講談社文庫、2002年)を読ませたりしました。この本はとてもいい本だと思うのですが、1年にはやはり難しい様子。
 なので、学生に読ませる論文執筆法の本はないかと探していました。石原さんの本はその意味でぴったり。ですが、やはり1年生には難しい。それでも、今の大学はそう甘いもんじゃない、大学の先生は高校までの先生のようにやさしくはないということを伝えるにはいいかもしれません。どちらの本も、大学教員の学生に対するかなり率直な本音が書かれていて面白い。大学での授業について知りたいのであれば、『三四郎』の方がおすすめです。もっとも、内容は半分くらい重複しているような気がしますが。
 余計なことですが、私は石原さんほど自分にも学生にも厳しくない、いいかげんな教員なので、もし同僚だったら、お互い「お友達になりたくない」タイプなんじゃないかと思いました。  (2006.624