【親子の会話】
 親子の会話は減少しているか?
 2007.5




友だち親子 or コミュニケーションの不足?

 最近、学生のレポートなどで「友だち親子」ということばをよく目にするようになった。友だち親子というのは、友だちのように何でも話せる仲のいい親子という意味なのだろう。もっとも、それだけでないらしく、親であるはずなのに、子どもをしつけず、子どもに媚びて甘やかす親と、親から自立しない甘えた子というイメージも含まれているようだ。

 その一方で、親子の会話やコミュニケーションが不足しているといったこともよく言われる。非行の原因に関する世論調査では、親の甘やかしと並んで、会話や触れあいの不足が高率を占める(「非行の原因論2」のページ)。親子の絆が弱まっていると感じている人も多い(「家庭の教育力」)。
 中央教育審議会の答申「新しい時代を拓く心を育てるために」(1998、平成10年)は、次のように親子の会話の不足を問題にしている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/toushin/980601.htm#2-1c


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とかく我が国の人間関係では「以心伝心」がならいとされてきた。これはこれで大切なことであるが、その反面、家庭の中で言葉に出して会話することの大切さが余り意識されてこなかったのではないだろうか。調査によれば、我が国の場合、夫婦間で子どものことを話し合う頻度について、「よく話し合う」とする家庭の割合が、アメリカや韓国に比して下回っている。親子の間について見ると、父子間の会話が少なく、また、子どもが成長するにつれて、親子の会話の頻度も少なくなる傾向が見られる。そうしたことも背景に、我が国の青年は、諸外国に比して、悩みや心配ごとを親に相談しない傾向が見られる。逆に、親から子どもに何かを相談するようなことも少ない。

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 ということで、今の親子関係については、友だちのようによく話す親子というイメージと、コミュニケーションが不足していて稀薄な関係という両方のイメージがあるように思う。
 では、実のところ、どうなのか。ここでは、親子の会話やコミュニケーションに関する調査を見ていきたい。


〈親の権威の低下〉から〈会話の不足〉へ

 親子の会話が不足しているといったことが、厚生白書ではじめて指摘されたのは、
1971(昭和46)年版の『厚生白書 こどもと社会児童憲章制定20年』である。
 これ以前も、研究者の間では指摘されているかもしれないが、こうした声が大きくなったのは、やはりこの頃だろう。1960年代は、親子関係の民主化の推進が主張される一方で、価値観の断絶、世代の断絶による親の権威の低下が問題になっていた。1960年代の文献を読んでいると、それほどまでに親の権威が大切だったのかと、何だか感慨すらわいてくる。
 1970年代に〈親の権威の低下〉から〈会話の不足〉へと問題が変化したのは、1970年代の親が権威を回復したからではないだろう。同時に、60年代は親子がよく会話していたが、70年代は会話が少なくなったということでもないはずだ。1960年代は、親子の「断絶」がさかんに言われていたのだから。
 にもかかわらず、70年代になって親子の会話の不足が言われるようになったのはなぜか。それは、親子関係のあるべき姿が、モデル・チェンジしたからではないだろうか。親は権威を持って子に接するべきだという60年代型モデルから、親は子どもとよく会話をし、子どもを理解すべきだという1970年代型へと。


1971(昭和46)年版『厚生白書』

 ではまず、
1971年版厚生白書を見てみよう。同白書は東京都の調査「中学・高校生の家庭生活」(1969年)のグラフを載せ、次のように述べている。 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm  

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「児童にとつて、両親に依存した生活から独立していく過程において、友人との生活の占める割合が大きいだけに、親としては家庭内の話題として積極的にとりあげ、適切な助言を与えることが必要とされるのに、対話はあまりにも少ない。」
「将来の生活についての親子の対話は、子の人生における生活目標の設定などのために、きわめて重要な意義を有するはずであるが、その対話が不足している。」
「とりわけ、父親は子との実質的対話に努力する必要があろう。」
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 厚生白書が親子の会話の不足を強調するのは、子どもの成長にとって親子の会話こそが大切であるという規範や理想に基づくものであることがよくわかる。


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1979(昭和54)年『厚生白書』

 
1979年版厚生白書もまた、「父親の存在が希薄化した」「子供の悩みの相談相手をみても父親の比重は極めて小さい」として、次のグラフを載せている。
 前述の中教審答申(1998年)でも、子どもが親に相談しないことを問題にしていたが、そうしたことは、この当時から言われていたのである。


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子どもの悩みの相談相手①

 その後はどうか。子どもの悩みや相談相手に関しては、総務庁の継続的な調査がある。
1995(平成7)年版国民生活白書は、過去の調査結果をグラフにしている。
  http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01303.html
  http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95bun-1-3-33z.html
  http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95bun-1-3-34z.html
 
 1995年版国民生活白書は、下のグラフから、「子供は悩みがあっても親には相談できず、将来への不安を抱えている。子供が相談できるのは友人である」と書いている。だが、悩みの内容を見ると、1975年には家族についての悩みが大きく減少し、その後横ばい。家族のことで悩む子が少なくなったことが分かる。
 相談相手については、確かに友だちが圧倒的に多い。母親に相談する割合は、70年代から80年代に若干減り、90年調査では増加している。父親は横ばい。この結果から、国民生活白書のように、「親には相談できない」とまで言えるかどうか。


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悩みの相談相手②

 
18歳から24歳の青年を対象として行われてきた「世界青年意識調査」(総務庁青少年対策本部→内閣府)でも、悩みの相談相手について継続して聞いている。
7 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth7/pdf/top.html  

 この調査によると、日本と韓国の青年の相談相手としては、1位が「近所や学校の友だち」、2位が母であるのに対し、アメリカ、スウェーデン、ドイツでは母が1位になっている。このことをどう見るかは、評価の分かれるところだと思う。
 ともあれ、この調査でも、先の総務庁調査とほぼ同様の結果である。親に相談する割合は、1980年代に若干下がったものの、90年代以降上昇している。

                母     父
   1977(昭和52)年  43.8%   26.5
   1983(昭和58)年  35.7    17.8
   1988(昭和63)年  35.7    17.4
   1993(平成5)年   37.7    18.8
   1998(平成10)年  45.9    21.9
   2003(平成15)年  43.6    20.3


親子の会話①

 親子の会話についても、継続的な調査がある。
2000(平成12)年の内閣府「日本の青少年の生活と意識 第2回調査 青少年の生活と意識に関する基本調査」は、次のように、これまでの調査結果をまとめている。これは、1524歳の青少年に、親とどれくらい会話するかを尋ねたもの。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/seikatu2/pdf/0-1.html
親との会話  http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/seikatu2/pdf/2-2-2-1.pdf


 ○父親との会話の頻度(1524歳の青少年)
        非常によく 話す方   小計  あまり話さない 話さない方 
  1970年度   6.0   39.6    45.6    39.2      3.1
  1975年度   9.2   42.6    51.8    34.4      3.1
  1880年度   9.8   47.9    57.7    32.0      2.7
  1985年度   11.8   44.8    56.6    32.9      2.9
  1990年度   12.6   42.3    54.9    35.9      3.3
  1995年度   17.1   44.7    61.8    31.5      6.5
  2000年度   18.5   46.4    65.0    28.9      6.3

 ○母親との会話の頻度(1524歳の青少年) 
        非常によく  話す方  小計  あまり話さない 話さない方
  1970年度   22.0   56.6   78.6    16.5     1.2
  1975年度   27.6   53.5   81.1    14.8     1.1
  1880年度   30.1   55.9   86.0    11.1     0.7
  1985年度   27.2   56.9   84.1    12.5     1.0
  1990年度   31.2   51.6   82.8    14.0     0.8
  1995年度   38.3   48.8   87.1    10.8     1.6
  2000年度   41.2   47.4   88.6    10.3     0.9


 これを見ると、この30年の間に、親と「話す方」だと答える青少年の割合は増加している。つまり、親子の会話が減少しているとは言えず、むしろ現在の子どもは、以前よりも親とよく話している。


親子の会話②

 
2004(平成14)年のベネッセの調査「中学生にとっての家族」は、中学生に親とどれくらい会話するかを聞いている。
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/CYUU/VOL770/index.html

     よく話をしている  時々  あまりしていない ほとんどしていない
  父親    26.7%    41.5    21.5      10.3  
  母親    54.9%    32.1    9.8       3.1

 この結果について報告書は、親子の会話の不足ではなく、逆にその多さを問題にしている。居心地のいい家庭、親子の会話の多さなどから、反抗期・思春期の変容、自立の遅れが見られると言うのである(この調査については「思春期」のページで書きました)。

 NHK放送文化研究所の『中学生・高校生の生活と意識調査』(NHK出版、2003年)は、1982年から5年毎に行った4回の調査をまとめて分析している。
 ここでも問題にされているのは会話の不足や親子関係の希薄化ではなく、その逆である。同書の見出しには、次のような言葉が続く。

ぶつからない親子関係 親は優しく、理解があり、よく話す関係 さらに少なくなった「厳しい親」 対立の少なくなった親子 居心地のよい家庭  接近する親と子の意識 個人と個人の親子関係へ 高くなった子どもの評価 子どもを尊重する親の増加 子どものことは子どもにまかせる 学校に厳しさを求める親


友だち親子?

 ということで、親子のコミュニケーションが減少しているとは思えない。
1970年代半ばから、親も子もよく話をするようになり、近年その傾向がさらに強まったように思う。
 だとすると、コミュニケーションの不足と言うより、「友だち親子」の増加の方が、リアルな現状認識だろう。
 NHK『中学生・高校生の生活と意識調査』でも、「どういう親でありたいか」という質問に、父親の約6割、母親の約8割が「何でも話し合える友だちのような親」と答えている。これは1982年以来、ほぼ同じ割合である。

 ○何でも話し合える友だちのような親
         1982年  1987   1992  2002
     父親   57%   54    58   60
     母親   80    84    84   83
 ○子どもに尊敬されるような権威のある親
         1982年  1987   1992  2002
     父親   36%   40    37   40
     母親   17    13    14   17

 ちなみに、NHK放送世論調査所『日本の子どもたち』(日本放送出版会、1980年)は、1979年調査の結果から、「多い親子の会話」「多数を占める話し合い派」「現在のわが国では友だち型を志向する親が多い」(103頁)と指摘している。
 この頃には、すでに「友だち型」親子が言われていたのである。もっとも、前述のように、この当時、厚生白書は、親、とくに父と子の会話の不足を問題にしていたのだが。

話し合う親か権威のある親か

 以上のことから、今の親子の会話が以前より減っているとは言えない、というのが結論である。

 いや、それでもまだ「不足」していると考える人もいるだろうし、「質」が問題だと言う人もいるだろう。だけれども、そう言うためには、別の検証が必要だ。何を持って質と言うのか。何を基準として不足と言うのか。そして、その場合、どのようにそれを検証するのか。総務庁の調査では子どもの家庭についての悩みは減り、NHKやベネッセの調査を見る限り、子どもの家庭での満足感も高いのだが。
 一方、今日では、ベネッセの報告書のように、親との会話が多く、家庭での満足感が高いことすら問題視されている。この場合も、何を基準・根拠として、問題だと言えるのかが検証されなくてはならない。

 それにしても、どうしてこうも両極端の評価が生まれるのか。そこには、親子のあるべき像の違いがあるように思えてならない。
 1970年代以降、親は子とよく話しあい、子どもを理解することが大切だと考えられるようになる中で、親子の会話の不足が問題にされるようになった。そして、そうした考えが浸透するとともに、今度は逆に、親からの自立の遅れや親子の密着(かつては母子密着と言われたが)、友だち親子が問題にされるようになったのだろう。

 友だち親子をどう評価するか。次の調査結果には、親はどうあるべきかという今日の理想や規範とその揺れがよく表れていると思う。もっとも、多数派は今も会話派だが。

 
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内閣府 国民生活局の2001(平成13)年度「国民生活選好度調査家族と生活に関する国民意識」(1580歳)
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/2002/0405senkoudo/index.html http://www5.cao.go.jp/seikatsu/2002/0405senkoudo/gif/1-04z.gif