【少年非行8】
非行の背景に虐待があるという「新たな視点」 2012.8.9






虐待経験の有無
 虐待を理由に子どもが親から保護された場合、乳幼児であれば乳児院、それ以上の年齢であれば養護施設に入所する。里親に委託される場合もある。
 だが、別の理由で保護された子も、虐待を受けているかもしれない。そこで2008年の厚労省「児童養護施設入所児童等調査」は、はじめて児童福祉関係の施設に入所するすべての子どもを対象に虐待経験の有無を調べた。その結果が下の表である。

 これによると、里親委託児の31.5%、養護施設児の53.4%、情緒障害児の71.6%、自立支援施設児の65.9%、乳児院児の32.3%が、虐待を経験しているという。いずれもかなり数値が高いが、とりわけ情緒障害児と自立支援施設児は、虐待経験のある子どもの割合が高い。このことはどのような意味を持っているのか。以下では、自立支援施設児について考えてみたい。


Pasted Graphic

厚生労働省雇用均等・児童家庭局「児童養護施設入所児童等調査結果の概要」
200821日現在) 2009(平成21)年7


児童自立支援施設
 児童自立支援施設は、「不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童」を対象とした施設である(児童福祉法第44条)。かつては「教護院」という名称だったが、1998年から上記の名称に変更された。

 この自立支援施設には児童相談所によって措置された児童と、家庭裁判所が非行少年に対する保護処分として措置した少年が入所または通所する(少年法第24条)。ちなみに、2010年に家庭裁判所から同施設に送致された少年は178人である。そのうち、窃盗犯が88人、粗暴犯が51人を占める(警察庁2010)。家庭裁判所の決定に基づいて強制的に措置される児童は、親の同意を得て児童相談所が措置する児童以上に、非行が深刻化した児童が多いものと思われる。
 厚労省の「児童自立支援施設のあり方に関する研究会」の報告書(2006年)は、家庭裁判所から措置される児童が増加傾向にあると指摘している。その割合は、1978年は12.4%だったが、2003年は28.7%になっているという。
 ただし、実数で見れば、裁判所経由の児童の数は減少しているのではないかと思われる。また、家庭裁判所経由の入所児童が増えているのではなく、児童相談所経由の児童が減少している可能性もある。
 
 というのは、自立支援施設への入所児童数が、大幅に減少しているからである。上記の厚労省研究会報告書によれば、入所児童数が1960年以降で最も多かったのは1962年で5536人。それが1974年には2000人台になり、1991年には2000を割る。2008年は1808人である(厚労省「社会福祉施設等調査」)。それゆえ、自立支援施設ではその定員割れが、問題になり続けてきた(「定員開差」問題と言うらしい)。2008年の定員充足率は45%である(定員4005人)。
 ともあれ、ここでは、児童自立支援施設において、虐待経験のある児童が多いからといって、虐待の社会問題化とともに、自立支援施設に入所する児童が増えたわけではないことを確認しておきたい。


非行の原因・背景としての虐待
 このように、児童自立支援施設は非行傾向のある子どもが、入所または通所している施設である。前述のように、厚労省の2008年調査では、この施設の子どもの65.9%に虐待経験があり、虐待を受けたことのない子どもは、わずか26.5%にすぎなかった。

 こうした調査が行なわれるようになったのは、もちろん虐待が社会問題になったからである。それとともに、虐待が非行の要因・背景にあると考えられるようになった。厚労省の前掲研究会報告書(2006年)は、「近年、入所している子どもの多くが、虐待といった身体・生命や人格に及ぶ権利侵害を被り、入所に至っている現状がある。このような虐待を受けた子どもの多くは、その影響が大きな要因の一つとなり、非行行為に及ぶということが多く見受けられる」と指摘している。

 また、内閣府の「少年非行事例等に関する調査研究」企画分析会議は、2005年度の「少年非行事例等に関する調査研究報告書」において、「最近の少年非行の原因・背景を考察するに当たっての新たな視点」の一つとして児童虐待を取り上げている。非行の背景に虐待があるという捉え方は、近年注目されるようになった「新たな視点」だったのである。


虐待と非行に関する調査・研究
 内閣府の同報告書によれば、虐待と非行の関連について、関係省庁において次のような調査研究が行なわれてきたという。行政機関が虐待と非行との関連にかなり関心を寄せていることがわかる。


科学警察研究所「少年による凶悪犯・粗暴犯の背景及び前兆に関する調査」2002年調査)
凶悪犯および粗暴犯で検挙・補導された少年は、その他刑法犯少年と比べて、身体的暴力等の被害を、生育歴上のより早い時期に受けた者が多い。

科学警察研究所「粗暴傾向の少年相談事例に関する調査」2002年調査)
『犯罪心理学研究』第41巻 特別号 200312
粗暴傾向で少年相談の対象となったケースのうち、おおむね56ケースに1件の割合で、何らかの被虐待経験がみられる。

法務総合研究所研究部「少年院在院者に対する被害経験のアンケート調査」2000年調査)
 ⇒「児童虐待に関する研究(第1報告)」(
20013月)
全国の少年院の中間期教育過程に在籍する全少年のうち、家族及び家族以外の者から身体的暴力、性的暴力、不適切な保護態度のいずれか1つでも受けた経験のある者は、全体の約70%。これらの加害行為について、少なくとも1つ以上、家族からの被虐待経験がある者は全体の50%。
http://www.moj.go.jp/housouken/housouken03_00043.html

厚生労働省「児童自立支援施設入所児童の被虐待経験に関する研究について」1999年調査)
全国の児童自立支援施設に入所している全児童を対象に、児童を担当している職員による回答方式のアンケート調査 
何らかの虐待を受けた入所児童が約6割

家庭裁判所調査官研修所『児童虐待が問題となる家庭事件の実証的研究−深刻化のメカニズムを探る』(2003年)


非行に関する「新たな視点」
 このような調査結果からすれば、非行の背景・要因として虐待があることは、もはや疑いえないように見える。
 だが、なぜこうした捉え方が「新しい視点」なのか。非行の原因は従来から主に親や家庭にあると考えられてきたはずである。

 それは、これまで非行は主として子どもの規範意識の問題であり、したがって、非行は親のしつけの不足や子育ての失敗によって起こると考えられてきたからだろう。そのため、非行少年の親の養育態度に関する調査が繰り返し行なわれてきたが、そうした調査において、問題のある親の養育態度として最も多かったのは、意外にも甘やかしや過保護・過干渉ではなく、「放任」や「厳格」だった(少年非行3)。
 つまり、これまで非行は親の養育態度やしつけ、あるいは親子関係の問題だったがゆえに、虐待問題としては捉えられてこなかった。それに対し、「新たな視点」は、非行を虐待問題として位置づける。おそらくその結果、かつての「放任」や「厳格」は、もはや親の養育態度の一種ではなく、虐待として認識されることになったのだろう。「新たな視点」によって、「放任」や「厳格」が虐待として「再発見」されたのである。

 このことは親への見方を大きく変える。かつて非行少年の親は、子どもをちゃんとしつけられないダメな親であり、そうした親のあり様が非行の原因とされたが、親が直接子どもの「加害者」として捉えられていたわけではない。ところが、この「新たな視点」においては、親こそが子どもを犯罪者にした張本人であり、「加害者」である。非行の原因を親に帰す見方は、これによってますます強化される。


虐待は考慮されない?
 では、こうした「新たな視点」は、虐待の被害者であり犠牲者であるはずの非行少年に対する見方を変えただろうか。非行少年の置かれた劣悪な家庭環境や不幸な成育過程にこれまでよりも関心が向けられ、非行少年自身に対して関心や理解や同情が深まるようになっただろうか。
 私には今のところ、「新たな視点」が非行に対する社会の見方を変えたようには思えない。このことは近年の少年犯罪に関する裁判によく表れている。

 201011月に出された石巻事件に対する仙台地方裁判所の判決は死刑だった。18歳の少年が、元交際相手の女性を連れ戻そうとして、姉とその友人の計2人を殺害し、1人に重症を負わせた事件である(少年非行7)。
 新聞報道によれば、少年が5歳の時両親が離婚。母に引き取られたが、母は機嫌が悪いと少年をたたいた。母は再婚したものの別れ、新たな交際相手は母に暴力を振るった。母はアルコールに浸って入退院を繰り返し、少年は小学5年の時に祖母に預けられる(朝日新聞20101125日)。少年は自ら母にたたかれ、また、母が交際相手にたたかれるのを見て育った。
 こうした少年の境遇について、仙台地方裁判所は、次のように述べる。


弁護人は被告人の不安定な家庭環境や母から暴力を受けるなどという生い立ちが本件犯行の遠因であるとして、この点を被告人に有利に考慮すべきである旨主張するが、弁護人が主張するとおりの事情が認められるとしても、本件犯行様態の残虐さや被害結果の重大性に照らせば、この点を量刑上考慮することは相当ではない。


 また、光市母子殺害事件を起こした少年は、1999年の事件当時181ヶ月だった。弁護側は父親による虐待が事件の背景にあると主張したが、死刑を言い渡した20084月の広島高裁判決は、少年の成育環境を特に「劣悪」とは認めなかった。判決は次のように言う。


被告人の生育環境をみると、幼少期より実父から暴力を受けたり、実父の実母に対する暴力を目の当たりにしてきたほか、中学時代に実母が自殺するなど、同情すべきものがある。また、実母の死後、実父が年若い外国人女性と再婚し、本件の約3か月前には異母弟が生まれるなど、これら幼少期からの環境が、被告人の人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面があることも否定できない。もっとも、被告人は、経済的に何ら問題のない家庭に育ち、高校教育も受けることができたのであるから、生育環境が特に劣悪であったとはいえない。


 この事件は今年(2012年)2月の最高裁判決で死刑が確定したが、同判決は少年の成育環境に言及すらしなかった。「結果の重大性」と「遺族の被害感情」を最重要視する今日の「厳罰化」傾向の中では、少年の悲惨な境遇を「量刑上考慮するのは相当でない」とすら断じられている。少年の境遇が裁判で虐待として認定されたとしても、せいぜい「考慮すべき一事情」にすぎない(2008年広島高裁判決)。


厳罰化と虐待と
  光市事件の最高裁判決について、立命館大学の野田正人(司法福祉論)は、朝日新聞の取材に次のようなコメントを寄せている(朝日新聞2012212日)。


犯行当時は少年であっても、結果の重大性と、被害者の立場を考慮するという流れの中での判決だろう。精神的な成熟が遅れていたことに対して、丁寧に吟味されていないのが残念だ。児童虐待防止法が成立し、虐待など生い立ちのマイナス部分が人格をゆがめるという考えが意識されるようになってきたにもかかわらず、18歳を30日超えただけで大人と差をつけなかった。虐待による人格形成への影響を、もっと刑事裁判や少年審判の中で正当に評価していくべきだ。


 非行の原因を虐待に求める「新たな視点」は、非行少年の親が子どもにどのような養育態度で臨んでいるのかから、虐待をしているかどうかへと観察の視点を変える。そうした視点の転換によって、非行少年の親に虐待をする親が多いことが、今次々に「発見」されつつある。この発見は親への社会的な非難を今後一層拡大させていくことだろう。
 だが、その一方で少年事件に対する世論や判決は、少年の年齢や成育環境や成熟度を考慮しない方向に突き進んでいる。野田正人氏が求めるような方向には今のところ向かいそうにない。
 とすれば、「新たな視点」は、複雑な要因によって成り立っているはずの非行原因を親に集中させ、親への非難を増幅させるだけのように思える。だが、もし「新たな視点」が少年事件の裁判で認められるようになれば、犯罪を犯した少年への理解や同情は深まるだろうか。

 上野加代子は、「虐待を予防するという発想に立てば、多くの親子の一挙一動が児童虐待という言葉で包摂される可能性がある」と指摘する(上野200219頁)。非行もまた、虐待という言葉で「包摂」されつつあるのかもしれない。



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上野加代子「児童福祉のパラダイム転換」上野加代子他編『児童虐待時代の福祉臨床学』明石書店、2002年。

警察庁生活安全局少年課「平成22年中における少年の補導及び保護の概況」
http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen/hodouhogo_gaiyou_H22.pdf

厚生労働省「児童自立支援施設のあり方に関する研究会」報告書
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/02/s0228-2.html

厚生労働省雇用均等・児童家庭局「児童養護施設入所児童等調査結果の概要」(平成2021日現在) 2009(平成21)年7
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jidouyougo/19/

厚生労働省「平成20 社会福祉施設等調査結果の概況」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/fukushi/08/index.html

内閣府の「少年非行事例等に関する調査研究」企画分析会議は、「平成17年度少年非行事例等に関する調査研究報告書」
http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/hikou/kenkyu/index.html


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【児童福祉法】
44条 
 児童自立支援施設は、不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、又は保護者の下から通わせて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援し、あわせて退所した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする。

【少年法】
24条(保護処分の決定)
 家庭裁判所は、前条の場合を除いて、審判を開始した事件につき、決定をもつて、次に掲げる保護処分をしなければならない。ただし、決定の時に14歳に満たない少年に係る事件については、特に必要と認める場合に限り、第3号の保護処分をすることができる。
1
.保護観察所の保護観察に付すること。
2
.児童自立支援施設又は児童養護施設に送致すること。
3
.少年院に送致すること。

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【光市母子殺害事件 広島高裁判決2008.4.22】一部のみ抜粋
事件番号 平成18()161
事件名 殺人,強姦致死,窃盗被告事件

(3)
そこで,酌量すべき事情について検討する。
ア 被告人は,布テープやこて紐を用意して携帯するなど,強姦について相応の計画を巡らせてはいたものの,その計画の程度は,戸別訪問を始めたときはいまだ漠然としたものであり,被告人自身も,そのようなことが可能であるかどうか半信半疑の状態であって,なりゆきによっては強姦に及ぼうという程度の気持ちであったと認められ,戸別訪問開始当初から,絶対に強姦をしようという強固な意思を有していたとまでは認められない。また,事前に被害者らを殺害することまでは予定しておらず,被害者に激しく抵抗され,あるいは,被害児が激しく泣き続けるという事態に直面して殺意を形成したにとどまることは否定できないから,各殺害については事前に計画されたものとはいえない。
 もっとも,これらの点は,戸別訪問開始のときから強姦実行を確定的に決意し,あるいは当初から被害者らを殺害することをも計画していた場合と対比すれば,その非難の程度に差異があるものの,被告人は,強姦という凶悪事犯を計画し,被害者方に入ってからは強姦の意思を強固にし,その実行に当たり,反抗抑圧の手段ないし犯行発覚防止のために被害者らの殺害を決意して次々と実行し,それぞれ所期の目的も達しているのであって,各殺害が偶発的なものといえないことはもとより,冷徹にこれを利用したものであることが明らかであることにかんがみると,上告審判決が指摘するとおり,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情といえるものではない。

イ 被告人には,前科はもとより,見るべき非行歴も認められず,本件以前に家庭裁判所に事件が係属したこともない。幼少期に,実母が実父から暴力を振るわれるのを見て,かばおうとしたり,祖母が寝たきりになり介護が必要な状態になると,その排泄の始末を手伝うなど,心優しい面もある。

ウ 被告人の生育環境をみると,幼少期より実父から暴力を受けたり,実父の実母に対する暴力を目の当たりにしてきたほか,中学時代に実母が自殺するなど,同情すべきものがある。また,実母の死後,実父が年若い外国人女性と再婚し,本件の約3か月前には異母弟が生まれるなど,これら幼少期からの環境が,被告人の人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面があることも否定できない。もっとも,被告人は,経済的に何ら問題のない家庭に育ち,高校教育も受けることができたのであるから,生育環境が特に劣悪であったとはいえない。

エ 被告人は,犯行当時18歳と30日の少年であった。そして,少年法51条は,犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており,その趣旨に照らし,被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,量刑上十分に考慮すべきである。また,被告人は,本件の約1か月前に高校を卒業しており,知能水準も中程度であって,知的能力には問題がないものの精神的成熟度は低い。

オ 弁護人は,刑法41条,少年法51条等を根拠として,少年の責任能力とは,犯行時にどの程度精神的に成熟していたかを問い,その成熟度(未熟さ)についての可塑性を問うものであり,少年の刑事責任を判断する際は,一般の責任能力とは別途,少年の責任能力すなわち精神的成熟度および可塑性に基づく刑事責任判断が必要となる旨主張し,18歳以上の年長少年についても,限定責任能力(精神的未成熟・可塑性の存在)の推定の下,少年独自の責任能力について実質的な判断が要請され,その結果,精神的成熟度がいまだ十分ではなく,可塑性が認められることが証拠上明らかになった場合には,少年法51条を準用して,死刑の選択を回避するか,限定責任能力を量刑上考慮すべきである旨主張する。
 しかし「少年の責任能力」という一般の責任能力とは別の概念を前提とし,年長少年について,限定責任能力を推定する弁護人の主張は,独自の見解に基づくものであって採用し難い。また,少年の刑事責任を判断する際に,その精神的成熟度および可塑性について十分考慮すべきではあるものの,少年法51条は,死刑適用の可否につき18歳未満か以上かという形式的基準を設けるほか,精神的成熟度および可塑性といった要件を求めていないことに徴すれば,年長少年について,精神的成熟度が不十分で可塑性が認められる場合に,少年法51条を準用して,死刑の選択を回避すべきであるなどという弁護人の主張には賛同し難い。
 たしかに,少年調査記録でも指摘されているように,独り善がりな自己中心性が強いことや,衝動の統制力が低いことなど,被告人の人格や精神の未熟が,本件各犯行の背景にあることは否定し難い。しかしながら,既に説示した本件各犯行の罪質,動機,態様,結果にかんがみると,これらの点は,量刑上十分考慮すべき事情ではあるものの,被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことと合わせて十分斟酌しても,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情であるとまではいえない。
 弁護人は,少年である被告人が,児童期の父親による虐待や,母子一体関係,共生関係にあった実母の自殺等によって,精神的成長が阻害されて停留しており,その精神の未熟さ等によって対処能力を欠いていたために,事件を拡大させて,被害者らを死亡させた旨主張する。
 たしかに,上記のとおり,被告人の人格や精神の未熟が本件各犯行の背景にあることは否定し難いものの,弁護人の上記主張は,被害者に実母を投影して甘えたくなり抱きついたところ,抵抗にあってパニック状態に陥って,被害者を死に至らしめ,更に,心因性の幻覚に襲われ,被害児をも死に至らしめた後,被害者を生き返らせるために同女を屍姦したなどという被告人の新供述を前提とするものであり,被告人の新供述が信用できない以上,その前提を欠いている。
 なお,少年調査記録には,TAT(絵画統覚検査)の結果として「いわゆる罪悪感は浅薄で未熟であり,発達レベルは4,5歳と評価できる」と記載されているところ,TATの結果のみから精神的成熟度を判断するのは相当でない上,前後の文脈に照らすと,この記載は,主として被告人の罪悪感に関する発達レベルを評価したものと解される。

カ 当審における事実取調べの結果によれば,被告人が,上告審の公判期日指定後,遺族に対し謝罪文を送付したほか,弁護人を通じ原判示第3の窃盗の被害弁償金6300円を送付したこと,当審においても,請願作業をして得た作業報奨金900円を弁護人を通じ遺族に対し被害弁償金として送付したこと,上告審係属中の平成16年2月以降,自ら希望して,おおむね月1回の頻度で教誨師による教誨を受けていることが認められる。また,被告人は,当審公判において,これまでの反省が不十分であったことを認める供述をし,遺族の意見陳述を聞いた後,大変申し訳ない気持ちで一杯であり,生きて生涯をかけ償いたい旨涙ながらに述べているほか,強盗強姦殺人罪等を犯した無期懲役受刑者との文通を通じて深い感銘を受け,遺族に対する謝罪,償い,反省等について考えを深めるきっかけを得たなどと述べている。

キ ところで,第一審判決は,酌量すべき事情として,①被告人の犯罪的傾向が顕著であるとはいえないこと,②被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至ったものと評価できることを摘示しているので,この点について検討する。

(
) ①の点については,被告人には本件以前に前科や見るべき非行歴は認められないものの,被告人は,いとも安易に見ず知らずの主婦をねらった強姦を計画した上,その実行の過程において,格別ためらう様子もなく被害者らを相次いで殺害している。そして,そのような凶悪な犯行を遂げたにもかかわらず,被害者の財布を窃取したほか,被害者らの死体を押入や天袋に隠すなどの犯跡隠ぺい工作をした上で逃走し,さらには,窃取した財布内にあった地域振興券でカードゲーム用のカード等を購入するなどしていることに照らすと,その犯罪的傾向には軽視できないものがあるといわなければならない。

(
) また,②の点については,被告人は,捜査のごく初期を除き,基本的には犯罪事実を認めて反省の弁を述べ,遺族に対する謝罪の意思を表明していたのであり,第一審の公判審理を経るに従って,被告人なりの反省の情が芽生え始めていたものである。もっとも,少年審判段階を含む差戻前控訴審までの被告人の言動,態度等をみる限り,被告人が,遺族らの心情に思いを致し,本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていたと認めることは困難であり,被告人は,反省の情が芽生え始めてはいたものの,その程度は不十分なものであったといわざるを得ない。

 そして,被告人は,上告審において公判期日が指定された後,旧供述を一変させて本件公訴事実を全面的に争うに至り,当審公判でも,その旨の供述をしたところ,既に説示したとおり,被告人の新供述が到底信用できないことに徴すると,被告人は,死刑に処せられる可能性が高くなったことから,死刑を免れることを企図して,旧供述を翻した上,虚偽の弁解を弄しているというほかない。被告人の新供述は,原判示第1の犯行が,殺人および強姦致死ではなく傷害致死のみである旨主張して,その限度で被害者の死亡について自己に刑事責任があることを認めるものではあるものの,原判示第2の殺人および第3の窃盗については,いずれも無罪を主張するものであって,もはや,被告人は,自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し,死刑を免れようと懸命になっているだけであると評するほかない。被告人は,上記5(3)カのとおり,遺族に対し謝罪文等を送付したり,当審公判において ,遺族に対する謝罪や反省の弁を述べたりしてはいるものの ,それは表面的なものであり,自己の刑事責任の軽減を図るための偽りの言動であるとみざるを得ない。本件について自己の刑事責任を軽減すべく虚偽の供述を弄しながら,他方では,遺族に対する謝罪や反省を口にすること自体,遺族を愚弄するものであり,その神経を逆撫でするものであって,反省謝罪の態度とは程遠いというべきである。

 なお,第一審判決は,公判審理を経るにしたがって,被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至ったものと評価できるなどとし,家庭裁判所の調査においても,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないことをも併せ考慮して,矯正教育による改善更生の可能性がないとはいえないなどと判断し,無期懲役刑を選択したものであり ,差戻前控訴審判決は,被告人が,知人に対し,本件を茶化したり,被害者らの遺族を中傷するかのごとき表現を含む手紙を何通も書き送っていることを踏まえながらも,第一審判決の判断を是認したものである。両判決は,犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し,その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが,被告人は,その期待を裏切り,差戻前控訴審判決の言渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9か月間,反省を深めることなく年月を送り,その後は,本件公訴事実について取調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し,それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。被告人が,そのような態度に出たのは,20名を超える弁護士が弁護人となり,被告人の新供述について証拠との整合性を検討し,熱心な弁護活動をしてくれることから,次第に,虚偽の供述をすることによって自己の刑事責任が軽減されるかもしれないという思いが生じ,折角芽生えた反省の気持ちが薄れていったのではないかとも考えられないではない。しかし,これらの虚偽の弁解は,被告人において考え出したものとみるほかないところ,当審公判で述べたような虚偽の供述を考え出すこと自体,被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。
 現時点では,被告人が,反省していると評価することはできず,反省心を欠いているというほかない。そして,自分の犯した罪の深刻さに向き合って内省を深めることが,改善更生するための出発点となるのであるから,被告人が当審公判で虚偽の弁解を弄したことは,改善更生の可能性を皆無にするものではないとしても,これを大きく減殺する事情といわなければならない。

(4)
以上を踏まえ,死刑選択の可否について検討するに,姦淫の目的を遂げるため,被害者を殺害して姦淫した上,いたいけな乳児をも殺害した各犯行の罪質は,極めて悪質であり,2名を死亡させた結果も極めて重大であること,極めて短絡的かつ自己中心的な犯行の動機や経緯に酌むべき点は微塵もないこと,各犯行の態様は,強固な犯意に基づく冷酷,残虐にして非人間的なものであること,両名を殺害した後,窃盗をしたほか,罪証隠滅工作をするなど,犯行後の情状も芳しくないこと,遺族の被害感情は峻烈を極めていること,社会的影響も大きいことなどの諸般の事情を総合考慮すれば,被告人の罪責はまことに重大であって,各殺害の計画性が認められないこと,被告人の前科・非行歴,生育環境,犯行当時18歳になって間もない少年であること,精神的成熟度,改善更生の可能性,その他第一審判決後の事情等,被告人のために酌量すべき諸事情を最大限考慮しても,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも,極刑はやむを得ないというほかない。

 当裁判所は,上告審判決を受け,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について慎重に審理し,弁護人請求の証人4名,検察官請求の証人1名を取り調べ,被告人質問を6期日にわたって実施したほか,多くの証拠を取り調べたものの,第一審判決が認定した罪となるべき事実はもとより,基本的な事実関係については,上告審判決の時点と異なるものはなかったといわざるを得ない。むしろ,被告人が,当審公判で虚偽の弁解を弄し,偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見出す術もなくなったというべきである。今にして思えば,上告審判決が,「弁護人らが,言及する資料等を踏まえて検討しても,上記各犯罪事実は,各犯行の動機,犯意の生じた時期,態様等も含め,第1,2審判決の認定,説示するとおり揺るぎなく認めることができるのであって,指摘のような事実誤認等の違法は認められない」と説示し,「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせる」と判示したのは,被告人に対し,本件各犯行について虚偽の弁解を弄することなく,その罪の深刻さに真摯に向き合い,反省を深めるとともに,真の意味での謝罪と贖罪のためには何をすべきかを考えるようにということをも示唆したものと解されるところ,結局,上告審判決のいう「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」は認められなかった。

 以上の次第であるから,被告人を無期懲役に処した第一審判決の量刑は,死刑を選択しなかった点において,軽過ぎるといわざるを得ない。

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【光市母子殺害事件 最高裁判決2012.2.20】
 事件番号:平成20()1136 
 事件名:殺人,強姦致死,窃盗被告事件
 裁判官金築誠志の「補足意見」と宮川光治の「反対意見」は省略


 本件上告を棄却する。


 弁護人安田好弘ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 なお,所論に鑑み記録を調査しても,刑訴法411条を適用すべきものとは認められない。

 付言すると,本件は,犯行時18歳の少年であった被告人が,(1) 山口県光市内のアパートの一室において,当時23歳の主婦(以下「被害者」という。)を強姦しようと企て,同女の背後から抱き付くなどの暴行を加えたが,激しく抵抗されたため,同女を殺害した上で姦淫の目的を遂げようと決意し,その頸部を両手で強く絞め付けて,同女を窒息死させて殺害した上,強いて同女を姦淫した殺人,強姦致死,(2) 同所において,当時生後11か月の被害者の長女(以下「被害児」という。)が激しく泣き続けたため,(1)の犯行が発覚することを恐れ,同児の殺害を決意し,同児を床にたたき付けるなどした上,同児の首に所携のひもを巻いて絞め付け,同児を窒息死させて殺害した殺人,(3) さらに,同所において,現金等が在中する被害者の財布1個を窃取した窃盗からなる事案である。

 (1)(2)の各犯行は,被害者を殺害して姦淫し,その犯行の発覚を免れるために被害児をも殺害したのであって,各犯行の罪質は甚だ悪質であり,動機及び経緯に酌量すべき点は全く認められない。強姦及び殺人の強固な犯意の下で,何ら落ち度のない被害者らの尊厳を踏みにじり,生命を奪い去った犯行は,冷酷,残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ず,その結果も極めて重大である。被告人は,被害者らを殺害した後,被害者らの死体を押し入れに隠すなどして犯行の発覚を遅らせようとしたばかりか,被害者の財布を盗み取って(3)の犯行に及ぶなど,殺人及び姦淫後の情状も芳しくない。遺族の被害感情はしゅん烈を極めている。被告人は,原審公判においては,本件各犯行の故意や殺害態様等について不合理な弁解を述べており,真摯な反省の情をうかがうことはできない。平穏で幸せな生活を送っていた家庭の母子が,白昼,自宅で惨殺された事件として社会に大きな衝撃を与えた点も軽視できない。

 以上のような諸事情に照らすと,被告人が犯行時少年であったこと,被害者らの殺害を当初から計画していたものではないこと,被告人には前科がなく,更生の可能性もないとはいえないこと,遺族に対し謝罪文と窃盗被害の弁償金等を送付したことなどの被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,被告人の刑事責任は余りにも重大であり,原判決の死刑の科刑は,当裁判所も是認せざるを得ない。
 よって,刑訴法414条,396条により,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。


光市事件については池のサイトが詳しい。
「勝田清孝と来栖宥子の世界」
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/hikari-menu.htm

判例検索システム 光市事件 最高裁判決2012220
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiKbn=02&hanreiid=82012

判例検索システム 石巻事件 仙台地裁判決 20101125
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0020_4