【少年非行4】 
 非行と家庭環境

 非行の「一般化」? 普通の子が危ない?  2008.11.22





非行の一般化論

 しばらく前、非行と親子関係について論文を書いた。核家族化によって非行が「一般化」したと言われるが、はたしてそうか、なぜそのように言われるようになったのかというのがテーマである。

 1960年代半ば頃から「貧困家庭」や「欠損家庭」に代わって、「中流家庭」の子どもや「両親のそろった家庭」の子どもの非行が増えたと言われるようになり、70年代になると核家族化による過保護や家庭の教育力の低下が非行を増加させたと捉えられるようになった。

 たとえば、1978年版『犯罪白書』は、「親の欠損」や「家庭の貧困」という「要因性」は「著しく希薄になっている」ことから、「最近では、少年の非行要因として、不適切な家族関係や家族機能など家庭の内的な病理現象を重視する傾向が強まっている」と書いている〔第4121〕。こうした非行の「一般化論」によって、以後、家庭環境を問わず、どの子も非行に走りうるかのように言われるようになった。

 論文の結論は、核家族化によって非行が一般化したとは言えないということなのだが、原稿を書きながら最も悩んだのは、では「貧困」や「母子・父子家庭」といった家庭環境と非行との関係をどう考えるかということだった。
 統計や調査を見てみると、家庭環境は無視しえない要因として存在する。そのことをどう書こうかと悩んだ末、結局そうしたデータはほとんど論文から削除してしまった。「貧困」や「ひとり親家庭」に非行が多いといった記述は、やはり差別や偏見をもたらしかねないと考えたからである。*

 だが、やはりここで非行の社会的背景や家庭環境を取り上げようと思う。
 というのも、非行の一般化論が非行の原因を核家族化や親の養育態度に還元してしまった結果、かえって、貧困やひとり親家庭に対する理解や共感が失われ、非行を犯した少年への社会的援助が軽視されるようになったのではないかと思うからである。そしてその結果、親や非行少年に対する道徳的な非難や責任を問う声ばかりが増幅しているように思えてならない。

もう一つ理由がある。それはひとり親家庭や貧困家庭への偏見を鋭く批判したラベリング論や、犯罪を社会が構築したものとして捉える社会構築主義に対してどのようなスタンスを取るか、私自身うまく整理できなかったからである。
 ラベリング論は、差別や偏見があるからこそ「貧困」や「欠損」がとりわけ問題にされるのであり、ひとり親家庭の子どもに非行が多いといった分析は、ひとり親家庭に対するレッテル貼りだと批判する。そうしたラベリング論や社会構築論からすれば、非行少年の社会階層や家庭環境の分析は、「貧困」や「欠損」の問題を実体化する古くさくて差別的な実証主義ということになる。
 確かにそうした側面はあると思う。だが、それでは非行の背景にある社会や家庭の問題を問えなくなってしまうのではないだろうか。
 ラベリング論と社会構築主義については、北澤毅編『リーディングス日本の教育と社会9 非行・少年犯罪』(日本図書センター、2007年)が詳しい。


「実父母率」「司法統計」から

 非行の一般化論の根拠とされてきたのは、警察庁の「犯罪統計書」と家庭裁判所の「司法統計」だが、
1967(昭和42)年版以降の 法務省『犯罪白書』では、資料1にあるように、主に「司法統計」が用いられてきた。これは「一般保護少年」(全国の家庭裁判所が取り扱った少年保護事件中から、道路交通法違反および自動車の保管場所の確保等に関する法律違反事件を除いた事犯の少年)の保護者に関する調査である。
 『犯罪白書』は、この司法統計から、非行少年の「実父母率」が195545.1%、196047.1%から、1965年以降、7割台に大幅に増えたと問題にしてきた。*

*厚生(労働)省の「全国家庭福祉実態調査」(18歳未満の子のいる世帯)によると、父母ともいる世帯は、198993.8%(うち父母とも同居している世帯は92.1%)、199494.5%(同91.8%)、199993.6%(90.5%)、200491.6%(88.2%)である。非行少年の実父母率は最高でも75%であり、一般の世帯に比べると、やはり低い値と言えるだろう。


【資料1】一般保護少年の保護者の状況
Pasted Graphic
 1997(平成9)年版『犯罪白書』


 しかしながら、速水洋によれば、中流家庭や親のいる少年の非行が1960年代半ばに急増したのは、主にはその根拠とされる司法統計の「家庭の経済状態」と「保護者の状況」に関する分類が変わったからであるとされる。
 保護者についての統計は、かつては非行少年の親の有無を示すものではなく、雇用主などを含め、現実に少年を監護している者を把握するためのものだった。それが、1964年に親の有無や家庭の状態を捉えるためのものに変更になった。その結果、実母のいる少年の割合が一気に70%台へと増加したのであって、実際に両親のそろった家庭の少年犯罪が、この時期に急増したわけではないというのである(速水1989年**)。

**速水洋「『非行の一般化』論再考」日本犯罪社会学会『犯罪社会学研究』14号、1989年。

 速水はまた、警察統計では、司法統計と違って、1964年以前からすでに父母のそろっている少年の非行率が高かったことを明らかにしている。それゆえ速水は、1950年代から60年代に入る頃までには「すでに非行少年のほとんどの家庭は両親揃った状態になって」いたのであり、「非行の一般化」の傾向は、「もともと存在しなかったか、あるいはすでに終了してしまった現象」であると結論づける(同上論文、122頁)。

 速水が「すでに終了してしまった現象」と言うのは、資料1から分かるように、1980年代に入ると実父母率が少しずつ減少し、一般化が言われるようになった当時の数値を下回るようになったからである。
 それについて、1997年版『犯罪白書』は、「最近の特徴としては、実父母のそろっている者の比率が下降傾向にあるとともに、親の別居、離婚などにより親の一方を欠いたり、継父()のいる家庭の比率が上昇傾向」にあり、これらの比率が1980年の20.4%から、198525.5%、198927.5%へと増えていることが「注目される」と書いている。

 そしてこの1997年版を最後に、以後こうしたデータは『犯罪白書』には載らなくなる。しかし、非行の「一般化」論が否定されたわけではない。その後も『犯罪白書』は、核家族化や親の養育態度が非行の原因であると言い続けてきた。非行の「一般化」論は、暗黙の前提となって今も生きているのである。

 少年院新入院者の家庭環境
 このように『犯罪白書』は1970年代末から非行の「一般化」を繰り返し指摘してきた。だが、不思議なことに、実はそれとは全く異なるデータも一貫して載せている。というのも少年院に収容されている少年など、非行の程度が深刻なケースほど、家庭環境や就労、教育程度などに困難がある場合が多いからである。

 実際、1983年版『犯罪白書』は、「近時、非行の一般化が言われているが、少年院在院者の家庭環境には、問題のある者が少なくなく、なかでも、ほとんどの問題について男子、女子とも年少少年でその比率の高いことが注目され、家庭環境上の問題が年少少年の非行化に深い関連があることを示唆している」と書いている。
 1985年版も、「父母間の不和・葛藤、父母の離婚・別居」を経験した者が、少年院に在院する「女子の年少」と「中間少年」では50%を超えていると指摘している。

 以下では主に少年院新入院者に関する調査から、こうした傾向を見てみよう。
 資料2・3は、一般保護少年と少年鑑別所初入少年、少年院新収容者を比較したものである。これについて、1990年版『犯罪白書』は、「家庭裁判所で扱う一般保護少年の段階から、少年鑑別所初入少年、少年院新収容者へと対象者が絞られてくるにつれて、保護者が実父母である者、保護者の生活程度が普通以上である者の比率が順次低下しており、保護環境の条件が厳しくなってきていることがわかる」と書いている。


【資料2】非行少年の保護者別構成比
Pasted Graphic 1
 1990(平成2)年版『犯罪白書』


【資料3】
非行少年の保護者の生活程度
Pasted Graphic 2
  1990(平成2)年版『犯罪白書』


 次の資料4・5は、少年院新収容者の家族(保護者)との同居率と保護者の構成比である。家族との同居率は上昇しているものの(資料4)、保護者が実父母である割合は、
1968年から1997年まで5割強でほとんど変化は見られない(資料5)。
 これ以後の実父母率は、200050.8%、200248.7%、200542.2(男子43.0%、女子35.9)で、近年むしろ減少傾向にある。少年院に新たに入所した少年のうち、実父母が保護者となっている割合は、今や4割強に過ぎない。


【資料4】少年院新入院者の非行時における家族との同居率
Pasted Graphic 3
 2004(平成16)年版『犯罪白書』


【資料5】少年院新収容者の保護者
Pasted Graphic 4
  1998(平成10)年版『犯罪白書』


少年院新入院者の教育程度と就学・就労

 資料6・7は、
2005(平成17)年の少年院新入院者の教育程度と就学・就労の状況である。以前に比べると、中卒が減り、高校在学者が増える傾向にある。
 だが、近年の高校進学率9697%、高校中退率2%〜2.5%という数値からすると、少年院新入院者に占める中卒や高校中退者の割合はきわめて高い。中卒と高校中退の合計は、男子72.3%、女子61.1%。無職は男子43.1%、女子50.9%。中卒と高校中退者のうち、男子は約6割、女子は8割が無職と考えられる。

 一方、同年の一般刑法犯少年では、有職少年は9.1%、無職は11.9%にすぎず、残る約8割が学生・生徒である。一般刑法犯少年と比べてみても、少年院に入院する少年の場合、いかに就労や就学の問題が大きいかがわかる。万引きや放置自転車の乗り逃げなどが大多数を占める一般刑法犯少年の動向からのみ少年犯罪の傾向を捉えると、こうした問題を等閑視してしまうことになる。


【資料6】少年院新収容者の教育程度
Pasted Graphic 5
  2006(平成18)年版『犯罪白書』


【資料7】少年院新収容者の就学・就労状況
Pasted Graphic 6
  2006(平成18)年版『犯罪白書』


家庭環境という問題

 このように見てくると、少年非行の背景に、社会、経済的な問題や家庭環境の問題が存在し続けてきたことは明らかだろう。非行程度が重いほど「実父母率」が低く、貧困家庭や中卒、高校中退者、無職少年の割合が増える。

 しかし、核家族化が「新しい病理現象」を生んでいると捉えられるようになった1970年代以降、こうした問題に大きな関心が向けられることはなくなってしまった。社会、経済的な問題は、「豊かな社会」の到来や高校進学率の上昇によってすでに解決済みか、あるいはいずれ解決されるものと見なされ、家庭の問題は核家族化への批判によって、親の養育態度の問題にすり替わってしまったからである。

 もちろん、家庭環境があまり問題にされなくなったのはそれだけではない。1960年代まで盛んに使われた「欠損家庭」や「貧困家庭」、「留守家庭」「鍵っ子」といったことばは、両親がそろっていて、かつ、母親が家庭にいて子育てに専念することを当然視するものだった。
 そうしたあるべき家庭とは異なる家庭を逸脱と捉え、非行の温床と見なすことに対して批判が広がったことも、大きな要因だと思われる。*
 実際、これまで述べてきたことは、調査や統計的数値から読み取れる傾向や割合にすぎず、離婚したから、ひとり親だから、家庭が貧しいからといって、ほとんどの場合、子どもが非行に走ることはない。

* ちなみに、厚生労働省の「白書のデータベース」で検索すると、「欠損」という言葉が使われているのは1979年版までである。1989年版から「一人親」、1996年版では「シングルマザー」や「単親」という言葉が使われている。「母子家庭」は一貫して使われているが、「父子家庭」が登場するのは1979年版からである。

 貧困や「欠損」は非行要因としてはもはや希薄になったとする非行の一般化論は、一見こうした時代の論調に合致し、貧困やひとり親に対する差別や偏見を緩和してきたかのように見える。
 だが、一般化論は、貧困家庭やひとり親家庭が抱える社会的・経済的困難を見ない論理である。そしてまた一般化論は、非行の原因を親の養育態度の問題、つまりは親の養育責任に還元する自己責任論や新自由主義に直結する論理でもある。貧困家庭やひとり親家庭は、こうした一般化論の中に巻き込まれることによって、社会的・経済的な困難に対する共感や支援を欠いたまま、責任ばかりが問われてきたのである。

 近年、格差や貧困が大きく取り上げられるようになったが、虐待や非行、低学力や中退など、子どもの養育をめぐる問題と貧困との関係はなかなか注目されなかった。だが、最近、山野良一や浅井春夫の研究など、相次いでこうした問題を取り上げる本が出版された。そこからわかること、見えてくる問題などについて、いずれ書きたいと思う。