【児童虐待5 
 虐待概念の拡大
 
1988年巣鴨事件と2010年大阪事件 2010.12.17





児童虐待防止法制定 2000

 2000(平成12)年に制定された児童虐待防止法は、修正を経て、今日虐待を次のように定めている。

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2条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(18歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。
1.児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
2.児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
3.児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
4.児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの。及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
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 このように同法は、①身体的暴力、②性的暴力、③ネグレクト(育児放棄)、④心理的暴力(配偶者に対する暴力による児童の心理的外傷を含む)の4つを虐待として定義している。同法のこの定義は今日虐待に関する捉え方として、ほぼ定着しているものと思われる。


「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」2010-虐待と心中

 だが、厚生労働省社会保障審議会児童部会・児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会の「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」は、上記の虐待による児童の死亡だけでなく、心中による子どもの死亡も、「虐待による死亡」として位置づけている。その第6次報告(20107月)は次のように書いている。

平成204月から平成213月までの1年間に厚生労働省が把握した虐待により死亡した子どもの事例は、心中以外の事例が 64 例(67人)、心中事例(心中未遂で子どものみ死亡し加害者が死亡しなかった事例を含む。以下同じ。)が 43 例(61人)であった。
 
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv37/index_6.html

 同専門委員会がこのように捉えるのは、心中であれ、子どもを死なせることは虐待と同様に重大な問題であると考えるからだろう。確かに、それはそうだと思う。虐待による死亡数とほとんど変わらない数の子どもが心中によって死亡していることが知られれば、そうした不幸を減らす取組みがもっと行なわれるようになるかもしれないとも思う。
 だが、危惧もある。虐待と心中が同等に扱われることによって、子どもを道連れに死ななければならなかった(死のうとした)親に対して、虐待に対する非難と同様のまなざしが注がれてしまうのではないか。
 また、心中を虐待に含めることによって、虐待による死亡数が大幅に増やされ、虐待の深刻度がさらに「誇張」されることになるのではないか。実際、新聞はこの報告書に基づいて、心中を含めた数値を虐待の数値として扱い、その深刻度を強調している。
 つまり、虐待の概念が拡大されることによって、今日の親に対する社会的な非難が拡大していくことに危惧を感じるのである。もっとも、虐待概念の拡大自体は問題ではないのかもしれない。むしろ、悪い親から子どもを救うために、もっと概念を拡大すべきだという主張の方が有力だろう。
 だが、滝川一廣が指摘するように、「虐待」はabuse以上に、親を非難する語感の強いことばである。それゆえ、虐待概念が拡大することによって、親を非難する風潮は強まる。子どもの死亡数も死亡率も、かつてよりはるかに減っているにもかかわらず、である(「児童虐待3」参照)。


「児童の虐待、遺棄、殺害事件に関する調査」1973-74

 虐待概念の拡大を考える上で、興味深い資料がある。厚生省が虐待についてはじめて行なった全国調査とされる「児童の虐待、遺棄、殺害事件に関する調査」である。これは、1973(昭和48)年4月からの1年間に、児童相談所が受理したケース及び各児童相談所管内で発生したケースをまとめたものであり、3歳未満の子どもを対象としている。同調査の結果は、以下の通り。

  虐待(24件):暴行等身体的危害、長時間の絶食、拘禁等、生命に危険を及ぼすような行為
  遺棄(124件):児童相談所が棄児として受理したもの。
          病院・施設・駅構内などに放置したケースを含む。

  殺害遺棄(135件):殺害して死体を遺棄。
  殺害(51件):殺害のみ、殺害未遂を含む。
  心中(65件) 
   計401

 同調査では、虐待は24件にすぎない。だが、3歳未満に限ったこの調査において、殺害遺棄が135件、殺害が51件、計186件もある。前掲の「第6次報告」の64 例、67人の3倍近い。
 興味深いのは、同調査では、遺棄も殺害も殺害遺棄も虐待とは別の概念として捉えられていることである。今日最も深厚な虐待として捉えられている親による子の殺害や殺害遺棄は、虐待ではなかったのである。
 したがって、同調査の虐待は、それ以外の身体的な暴力とネグレクトに限られる。しかも、今日の児童虐待防止法のネグレクトが、「児童の心身の正常な発達を妨げるような」行為であるのに対し、同調査では、「生命に危険を及ぼすような行為」を指す。虐待そのものの概念が、当時は非常に狭かったのである。


豊島区巣鴨子ども置き去り事件1988

 今年(2010年)7月末、大阪市のマンションで3歳と1歳の姉弟の遺体が発見され、23歳の母親が死体遺棄及び殺人容疑で逮捕された。ネグレクトによる餓死。母親は幼い子どもをマンションに残したまま、ホストクラブなどで遊んでいたとされ、社会の非難が集中した。本当に胸が痛くなる事件だった。

 この事件があって、1988(昭和63)年の「巣鴨子ども置き去り事件」を思い出した。柳楽優弥が主演した2004年公開の映画「誰も知らない」の題材になった事件である。
 母親(40歳)は3人の男性との間に6人の子を出産。1人を養子に出し、1人は生後3ヶ月で死亡(遺体で発見)。他の14歳、5歳、3歳、2歳の4人がマンションに置き去りにされ、うち2歳の3女がマンションに入り浸っていた長男(14歳)の友人に殺害された。子どもは5人とも出生届が出されておらず、長男は学校にも行っていなかったという。 母親は保護責任者遺棄、同致傷の罪に問われた。

 以下の資料は、この事件を報道した『朝日新聞』の記事である(「聞蔵」で検索)。これらの記事を読んでまず驚かされるのは、この事件は当時の報道では「子ども置き去り事件」であって、虐待事件ではなかったことである。「児童虐待」(ネグレクト)として報道された上記の大阪の事件とは大きく異なる。
 もう一つは、子どもを遺棄した母親に対して、同情的な視点が含まれている点である。もちろん、当時も母親を非難する声は大きかっただろう。だが、少なくとも『朝日新聞』は、結婚を反対され、婚姻届を出さないまま子を生んだことが、母親の「転落」や「悲劇」を招いたとし、その背景には、「戸籍」の重さや「異端」を排除する「閉鎖社会」があるという記者の見方を載せている。
 判決も執行猶予が付いた。母親自身の「自覚」や「責任感」のなさを非難するような論調だけではなかったのである。


大阪2幼児遺棄事件 2010

 大阪事件で逮捕された若い母親も、報道によれば、かなり辛く寂しい環境の中で育った。だが、そうしたことに対する同情論は、母親を非難する大きな声によってかき消されてしまっている。
 2人の幼い子を1人で育てるだけの生活基盤もなく、頼るあてもない、若く未熟な母親。母親が若く未熟であることは、いまや非難の対象ですらあるかのようだ。

 1988年の巣鴨事件と2010年の大阪事件。どちらも言い様のないほど悲惨な事件だった。だが、この22年の間に、母親による子ども遺棄に対する社会のまなざしは大きく変化した。母親の置かれた境遇に対する同情や社会背景を捉える視点が弱まり、母親を非難する声が格段に大きくなった。虐待の社会問題化と虐待概念の拡大が、そうしたまなざしの変化を生み出しているように思えてならない。



【資料】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

別の妹、長兄の友が死なす 豊島区の子ども置き去り事件 朝日新聞 19880724

 東京都豊島区のマンションの室内で乳児の遺体が見つかり3人の兄妹が置き去りにされていた事件で、行方がわからなくなっていた2歳の3女は、長男(14)の遊び友達で中学1年生の男子(122人が今年4月、マンションの室内で殴ったりして死なせていたことが24日、警視庁巣鴨署の調べでわかった。長男らは遺体を約1週間後に、埼玉県秩父市内の公園わきの雑木林に捨てに行ったと供述し、同署で捜索したところ、同日夕、ビニール袋に包まれた遺体が見つかった。同署は、友達2人から事情を聴く一方、長男を死体遺棄の疑いで25日にも逮捕する方針。

 調べでは、今年4月下旬、長男と友達2人がマンション内で遊んでいたところ、3女が寄ってきて食べ物をねだって泣きやまなかった。友達2人はうるさく思い、「泣くな」などと3女に殴るけるの乱暴を加えた。
 長男は止めたが、そのうち3女がぐったりして動かなくなった。驚いた3人はマッサージなどをしたが、息を吹き返さなかった、という。
 3人は、そのまま3女をほおっておいたが、腐敗してきたため、長男と友達の1人が約1週間後の4月末、遺体を黒のビニール袋に包み、さらにボストンバッグに詰めて、電車に乗って秩父市まで捨てに行った。
 遺体は秩父市大宮の羊山公園内駐車場わきの雑木林に、黒いビニール袋に包まれたまま放置されていた。友達2人については14歳未満で刑事責任を問えないため、児童相談所に事件を通告する。
 この中学1年生2人は、昨年秋にマンションの近くで長男と知り合い、長男のマンションなどで遊ぶようになったという。

 一方、23日に保護者遺棄の疑いで逮捕された母親は、5人の子どもの生年月日を書いた手帳を持っていた。それによると、長男は(昭和)4810月生まれ(14歳)、長女は5711月生まれ(5歳)、次男は5811月生まれ(592月死亡、自室で遺体で発見)、次女は599月生まれ(3歳)、3女は609月生まれ(秩父市で遺体確認)。
 長男は足立区内の産婦人科で出産したが、長女以下の4人は、豊島区西巣鴨のマンションに来る前に住んでいた同区南大塚1丁目のマンションの自室で産んだという。5人とも出生届は出していなかった。


子供置き去りの母 結婚かなわず悲劇の道(ニュース三面鏡) 朝日新聞 198881日 

 男性と別れ転々と 演じ続けた「良い家族」
 結婚を親に反対されて転落していった母親、14年間も戸籍がなく、教育も受けられなかった長男-東京・西巣鴨のマンションで、4人の子どもが母親(40)に置き去りにされ、3女(2)がせっかん死した事件は、豊かさに浮かれる「金満ニッポン」の裏面をのぞかせた。警視庁少年2課と巣鴨署の調べに対し、母親は今「私が、しっかりしなかったのがいけなかった」と、すべてをさらけ出し、ほっとした表情だという。 
                                        
 ○転落
 この母親は、川崎市内の私立高校を卒業後、服飾専門学校に進んだ。その後歌手を志し、実際に数枚のレコードも出した。昭和43年ごろからデパートの派遣店員として働き出し、ある男性と同せい。両親に結婚話を持ち出したが、猛反対された。2人の間には子どもが出来たが、この子は養子に出したという。
 4810月、再びこの男性の子どもを足立区内の産婦人科で出産。しかし、「正式の夫との間にできた子どもではないので怖くなり、結局出生届は出さずじまいだった」。
 この男性と別れた後、都内のマンションを転々とした。食いつなぐために、窃盗や売春をし、警察に捕まったこともあった。母親は、合計すると、少なくとも3人の男性との間に、6児を出産。養子に出した子と長男以外は、すべて自宅で、自分の力だけで産んだという。
 「最初にちゃんと結婚していれば、ひょっとしたら、ここまでの悲劇には進まなかったのでは」という捜査員もいる。

 ○逃避
 戸籍が無いまま育って行く子どもたち。しかし、マンションで暮らすには「良い家族」としての演技を取り続けなければならなかった。629月に西巣鴨のマンションを借りるときは「長男と2人暮らし。長男は立教中学に通っている。夫は数年前に死亡した」と言って、大家を信用させた。
 長男には「事情があって今は学校に行けないが、いつかは行けるように手続きしてやる」と、言い聞かせ、市販されている学習ブックを買い与えていた。
 やがて母親は、千葉県浦安市の冷凍食品販売業の愛人(56)ができ、今年1月中旬ごろからこの愛人の所に入りびたりになった。長男によると、マンションには時々男性が「元気か」と訪ねてきていたらしいが、愛人か長男の父親かはわからない。
 母親がいなくなって、近くのお菓子屋で知り合った友人たちが、頻繁に出入りするようになった。長男は、いなくなった母親の代わりに、3人の妹たちに食事を作ったり、おむつを取り換えたりしていたが、4月、「3女がそそうをしたり、泣きやまない」と、友人と3人で暴力を振るい、せっかん死させてしまった。
 長男に面接した都児童相談センター員は「本当に優しい子だと感じた。社会の汚れに染まらず生きてきて、母親も絶対的な存在だった。でも、友人との出会いで、小さな子の世話をするのが重荷に感じてきたのでは」と話している。

 ○生還
 「親は帰ってこないし、不良のたまり場になっている」との大家の連絡で、同署員が717日、ドアを開けると、いるはずのない長女と次女がいた。大家がバナナとおにぎりを差し出すと、むさぼるように食べた。「夜の商売の人の子どもで預かっている。母は大阪に仕事に出掛けている」と説明した長男も、同月21日に保護された。
 センターでは「こんなに大きい子の置き去りは例が無い。大都会ならではの事件だ」と話す。
 現代社会に生還してきた長男と長女、次女には、まもなく戸籍がつくられることになっている。


子ども置き去りの母親、「更生を」と刑猶予 東京地裁 朝日新聞 19881027

 東京・巣鴨のマンションに幼い兄妹4人が置き去りにされ、長男(15)らにせっかんされた3女(当時2つ)が死亡、ほかの子も栄養失調になるなどした事件で、保護者遺棄、同致傷の罪に問われた母親(40)に対する判決公判が26日、東京地裁刑事28部であり、高橋省吾裁判官は「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きわまりない犯行。3女の死の遠因となったといっても過言ではない」などとして、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。
 高橋裁判官は判決理由の中で、刑の執行を猶予したことについて「子供の出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子供の生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同棲相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」と述べた。


日本の中の難民(88警察庁記者クラブ:1) 朝日新聞 19881220日 

 (前略)彼は、3人の妹と共に置き去りにされた。保護されるまでの半年間、子どもたちだけで生活した。母親は、千葉県内で愛人と同居。子どもたちには戸籍がなく、学校にも通っていなかった。
 母親は、保護者遺棄罪などに問われ、彼も、妹の1人(当時2つ)をせっかん死させたとされ、傷害致死罪などに問われた。

 9月、東京家裁の処分は、異例ともいえる寛大な「養護施設送致」だった。妹3人の面倒を1人で見てきた特殊な事情や、彼の友達が主に乱暴したことから、「犯罪性は極めて薄い」と判断された。
 それでも、付添人の弁護士に、「妹を死なせたのは、僕が友達を強く止めなかったせいだ」と話し、自分を責め続けているという。15歳の少年が心に残した傷は、計り知れない。
 取材を進めるうちに、母親を含め、彼と妹たち家族は、日本の中の「ボートピープル」ではなかったのか、と思い始めた。戸籍のない子どもたちは、「日本国」からはじき出される。教育を受ける機会も、医療や福祉などの行政サービスを受けることもできない。死んだ妹は当時、埋葬許可すら取れなかった。

 母親も、ごく普通の結婚と、幸せな家庭生活を追い続けていたようだ。
 最初の男性と結婚に失敗。子どもの出生届を男性任せにしていた母親は、子どもが小学生になる時初めて戸籍のないことに気付き、がく然とする。「籍を入れていない」という負い目。小学校に入れることもあきらめ、子どもたちを部屋に閉じ込めるようになる。

 「いつか結婚する相手を見つけ、子どもと一緒に暮らしたかった」。そう願う母親に、「戸籍」の重さはひとしおだったに違いない。
 私たちの生活は、戸籍制度にしばられている。日本は、「異端」を排除する、極端な閉鎖社会だ。その事実に、改めて気付いた。