【児童虐待2】
「貧困」による虐待はなくなった? 2006.1228 / 2009.10.28





■児童虐待の社会問題化—1990年代後半

 朝日新聞の「聞蔵」で、「児童虐待」をキータームにして検索してみた。

 虐待に関する1年間の記事数は、1990年代後半から徐々に増え、児童虐待防止法が制定された2000年に急増する。下の数字は、新聞などのメディアと世論と政治が連動して、「児童虐待問題」が作り出されていったことをよく表していると思う。

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 「聞蔵」で検索した「児童虐待」の件数 1985年の3件のうち2件は外国の記事


 
1980年代の半ばまでは、虐待は新聞にまったくといっていいほど登場しなかった。だが、それは虐待がなかったからではない。今日ほど社会的な注目が集まっていなかっただけで、児童福祉関係者の間では、地道な努力や研究が続けられてきた。
 では、なぜ今日これほど「児童虐待問題」が社会の関心を集めるのか。色々な視点がありうるだろうが、ここでは児童虐待の原因論から考えてみたい。

児童虐待の原因豊かな社会? 核家族化?
 虐待の原因に関して、専門家の間では、高度経済成長を経た1970年代には、もはや貧困や無知が原因ではないと見なされるようになった。「後発国型」や「貧困型」「社会病理」としての虐待から、「先進国型」「自己中心型」「身勝手型」「家族病理」としての虐待へ。以来、この延長線上で、研究が進められている。
 
 実際、「日本子どもの虐待防止研究会」在籍者200人を対象とした有識者調査について、平成91997)年版『厚生白書』は、次のように述べている。

 児童虐待の増加の要因については,今回行った児童問題の専門家を対象とした調査によると,都市化や核家族化が進行する中で親の育児不安が増大したことや,未成熟な親の増加,過大な育児負担などをあげる意見が多い。

 下は同『厚生白書』に記載されているグラフだが、ここには「貧困」にかかわる項目はない。貧困の問題はもはや研究者の視野には入っていないかのようだ。
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1997 平成9)年版『厚生白書』 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm


 このような研究者の虐待についての捉え方は、虐待が社会問題化する中で、いまや常識となっている。それとともに、もはや飢え死にするような貧困はないのに、なぜ虐待が繰り返されるのかという疑念も広がった。「貧困」の時代でもないのになぜ
とい疑念や憤りは、虐待を行う親に対する「共感」や「同情」を失わせ、さらには、「都市化」し、「核家族化」した時代の親一般に対する懐疑や不安を増幅させてきたのではないかと思う。


「貧困」は問題ではないのか?

 だが、貧困はもはや虐待の原因や背景にはないのだろうか。私にはどうもそうは思えない。

 確かに、今日、貧困など階層の問題を扱うのは、とても難しい。貧困家庭だから虐待が起こると言えば、それは「差別」になってしまう(「貧困」というラベル貼りが生み出す問題)。それに、当然のことながら、貧困家庭でばかり虐待が起こるわけではないし、貧困家庭がみな虐待を引き起こすわけでもない。
 だからこそ、虐待にしても、非行にしても、家族形態や階層の問題から、家庭内の養育機能や家族関係の問題へと研究の視点を移してきたのだろう。
 それは私にもわかる。だが、その結果、貧困や階層の問題を見えない(見ない)問題にしてしまったのではないだろうか。

 虐待の背景には、経済的な問題はないのか。いくつか調査を見てみよう。
 虐待研究の第一人者である池田由子は、貧困や人権無視など「社会病理」としての虐待は減少したが、「精神病理」あるいは「家族病理」としての虐待は増えていると分析している(『児童虐待』中公新書、1987年、9−10頁)。

 だが、池田由子と田村健二ら(「児童虐待調査研究会」)が行った調査では、虐待を行う家族の問題として最も多いのは「経済的問題」である。「経済的問題」は、身体的虐待53.4%、保護の怠慢・拒否58.5%、性的虐待63.0%と、いずれも最も高い数値を示している(1983年に児童相談所が受理した虐待のケースに関する調査)。
 池田は、同書で、「家族がかかえている問題」は、「経済的問題と家族関係の不和がもっとも多いが、そのほかにもさまざまの困難が重複している」と述べている。
 田村健二も、同調査を報じた朝日新聞で、「虐待する親の多くは、生活難などのため自らも追いつめられており、中流意識が広がる中で挫折し、落ちこぼれていると想像される」と、傾注すべき指摘を行っている(1985412日朝刊)。

 下のグラフは、全国児童相談所長会が全国の児童相談所を対象に行った「全国児童相談所における家庭内虐待調査」(1997年)である(平成132001)年版『国民生活白書』)。この調査でも、「虐待につながると思われる家庭の状況」として第1位に挙げられているのは、「経済的困難」である。


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2001 平成13)年版『国民生活白書』 http://www5.cao.go.jp/j-j/wp-pl/wp-pl01/html/13301200.html


 以上の調査を見ただけでも、経済的な貧困は決してなくなったわけではなく、今日でも依然虐待につながる主な要因であることがわかる。にもかかわらず、なぜか虐待は「貧困」の問題としては、ほとんど報じられない。


 こうした中で、山野良一の論文はとても興味深かった(「児童虐待は『こころ』の問題か」上野加代子編『児童虐待のポリティクス』明石書店、2006年)。山野良一は、今日の児童虐待に「豊かさのなかでの」という形容詞を付すことがいかに事実誤認かを、生活保護率や非課税世帯の割合など、様々なデータをあげて証明している。そして、社会的な格差や階層の問題を、「こころ」の問題に解消してしまうことに警鐘を鳴らしている。その通りだと思う。


なぜ「貧困」が問題にされないのか?

 それにしても、なぜ階層や貧困の問題が、ほとんど問題にされないのか。このことを考える上で、滝川一廣の次の言葉が参考になる。


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世の中全体が貧しく、家庭の貧しさが一般性を持っていた時代には、その「貧しさ」が隣保的・相互扶助的な関係のきずなとなりえました。扶助しあわない限り生きられなかったからですね。昔は地域の共同性 によって子育てが支えられていたのにと惜しむとき、貧しさがその土台となっていたことも忘れてはなません。ところがまずしさがもはや一般性を持たない現代では、貧しさはきずなとはならず、逆に経済的な貧しさはそのまま関係的な貧しさを、つまり社会的な孤立を強いるものへと変わったのです。(『「こころ」はだれが壊すのか』洋泉社新書y、
2003年)
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 かつて貧困は、古い言葉で言えば、社会的な「連帯」を生み出す要因でもあった。それが、いまや貧困を口にすることが、「差別」になってしまう。だが、貧困を問題にすること自体が「差別」ではないはずだ。そうではなくて、貧困に対する想像力や共感や同情や「連帯感」を失ったがゆえに、貧困を言うことが「差別」になってしまったのではないか。

 虐待に対する今日の猛烈な非難は、おそらく、虐待をしないですんでいる大多数の人たちが、貧困という問題を度外視しているからだ。貧困という問題を考えないからこそ、自らの社会的な優越感を自覚せずに、安心して(?)虐待する親を非難することができる。「親なのに、なぜ」と、親一般のあるべき規範に照らして憤り、虐待を行った親の置かれている状況に「共感」や「同情」を寄せようとはしない。
 だからこそ、これほど虐待が社会的な関心を集め、問題にされているのではないか。そして、そうしたバッシングに、研究者も加担してはいないだろうか。 2006.12.28   



PS〉 2008年版 『青少年白書』
 東京都の虐待調査と社会保障審議会の死亡事例調査

 2008(平成20)年版内閣府『青少年白書』は、「家庭、地域の変容と子どもへの影響」という特集の中で、東京都の「児童虐待の実態」(2005)と、社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会が行った虐待による死亡事例の調査結果を取り上げている。
 同白書は、これらの調査から、 虐待が行われた家庭においては、「ひとり親家庭」「経済的困難」「就労の不安定」など、「困難な状況が複合的に重なり合い、一層深刻な状況となっていることがわかります」。「様々な困難な事情を抱えた家庭を孤立させないためにも、始めに相談ありきではなく、困っている状況を放っておかない、暖かく積極的な支援が求められるものと思います」と書いている。もう一つ何が言いたいのかよくわからない文章だが、ともあれ、虐待の背景に経済的な問題があることをかなり大きく取り上げたという点で、同白書は画期的だと思う。

 実際、東京都の調査では、ひとり親、経済的困難、孤立、就労の不安定、夫婦間不和、育児疲れが、結びついていることがよく分かる。夫婦間不和や育児疲れの背景にも、経済的な困難や就労の不安定さがある。経済的に困窮していない専業主婦が、核家族ゆえに孤立して育児不安になり、虐待を行うということではないのである。


    虐待が行われた家庭の状況(複数回答)東京都
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2008(平成20)年版『青少年白書』


児童虐待が行われた家庭の状況 東京都
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東京都福祉保険局「児童虐待の実態」 (2005) 今回調査は2003年、前回調査は2001年のデータを分析したもの。


 社会保障審議会の死亡事例に関する調査でも、死亡にまで至る重大な虐待事例の背景に、経済的な困窮があることは明らかである。
2次から5次までの虐待による児童の死亡事例を合計すると86件(家庭の収入が分からないもの、心中を除く)。そのうち、生活保護世帯は15.1%、市町村民税非課税世帯*は27.9%、年収500万円未満は23.3%、500万以上は12.8%(調査によって分類が異なるため、100%にならない)。虐待によって子どもを死亡させた家庭の43%は、生活保護受給世帯と非課税世帯であり、全般としてかなり収入が低いことがわかる。

 2003年の事例を分析した第1次報告には、家庭の経済状況に関する調査項目はなかったという。 経済的な問題に対する関心がなかったのだろう。それが、第2回調査から家庭の経済状況に関する調査項目が加わった。
 厚労省も2010年度から、1960年代半ば以来、40年以上も行っていなかった貧困に関する調査を再開するとか。 虐待の背後にある経済的な問題に、政策もようやく関心を向けつつあるのかもしれない。 2009.10.28
   
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*地方税法295条によると、市町村民税が非課税となる世帯は以下の通り
①生活保護受給者
②障害者、未成年者、寡婦又は寡夫で、前年の合計所得金額が125万円を超えない場合
③市町村が政令に従って条例で定める収入額以下のもの

  ちなみに③について、東京都文京区を調べたところ(20096月現在)、扶養親族がいない場合、前年の「合計所得金額」*が35万円以下。扶養親族がいる場合、35万円×(本人+控除対象配偶者+扶養親族数)32万円。
つまり、夫婦(一人が控除対象)と子ども2人では172万円以下。ひとり親と子ども1人では102万円以下。

*合計所得金額は、住民税の所得割の対象になる各種所得金額の合計額
給与所得の金額=収入金額-給与所得控除額
およそ収入65万円〜162万円までは65万円を引いた金額が所得額。ということは、文京区の場合、非課税になる一人世帯の年間収入は、3565100万円ということになる。
収入約163万円〜180万円は、6割が所得なので、ひとり親と子ども1人の所得102万円は、年間収入では170万円。
税金については全く疎いので、あまり定かではないのだが、ともあれ、非課税世帯が非常に低収入であることは確か。

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社会保障審議会児童部会 児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会
子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第5次報告) 20097月 84
http://www.mhlw.go.jp/za/0728/c54/c54.html
2007(平成19)年1月1日から2008(平成20)年3月31日までの15か月間に、子ども虐待による死亡事例として厚生労働省が把握した115例(142人)を対象。 うち、心中以外の事例73例(78人)、心中(未遂を含む)4264人。
「有効割合」とは、当該数を総数から未記入、不明等除いた数で除して算出したもの。

同審議会同部会 
第1次報告から第4次報告までの子ども虐待による死亡事例等の検証結果総括報告 2008(平成20)年6月 47
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv31/dl/05.pdf
2003(平成15)年7月1日から2006(平成18)年12月31日までの間に生じた児童虐待による死亡事例として都道府県が判断した247例(295人)を対象
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