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【子ども手当2】
 児童手当と子ども手当はどう捉えられてきたか
 朝日新聞の社説を読む  2011.7.22





児童手当はなぜ大きく育たなかったのか                                                      

 「子ども手当1」に書いたように、児童手当制度は、そもそもは中学校修了までのすべての子どもに対して支給する制度となるはずだった。だが、実際に発足した制度は、大幅に縮小されたものだった。
 そのため、児童手当発足当時、内田常雄厚生大臣は「小さく生んで、大きく育てる」と釈明し、国会の審議では児童手当の拡充を求める付帯決議が採択された。実際、70年代半ばまでは徐々に拡充していく
 しかし、79年の財政制度審議会で、早くも見直し論が出され、以後、児童手当の支出総額は2000年代に入るまで抑制され続ける。75年に5000円となった支給額が1万円に引き上げられたのは、16年後の1991年である。この時、支給対象は第1子からに拡大されたが、それと引き換えに、対象年齢が乳幼児に限定された。
 一方この間、家庭の養育費や教育費は上がり続ける。その結果、当初、児童養育費の半額とされた支給金額が、養育費の補填とすら言えないような額になってしまう。そして、そのことがまた、児童手当の存在意義を薄れさせることにもなった。

 なぜ児童手当は大きく育たなかったのか。それは主にはこうした70年代末以降の政策による。だが、それだけではない。児童手当に対するマスコミの見方がきわめて厳しく冷ややかだったことも、その要因だろう。
 なぜマスコミは児童手当に冷ややかだったのか。『朝日新聞』の社説から、その論理を見てみよう。


1970-80年代】児童手当は「子どもにカネをばらまくこと」

 『朝日新聞』の社説は、60年代は基本的に児童手当の制定を求めていた。「児童を健全な環境におくのは、両親だけでなく、国の責任である」(1961.5.10)、児童手当は「一種の所得保障」であり、「こどもの養育費で各家庭が過大な圧迫を受けないよう社会的な保障をすることを目的とする」(1964.10.7)等々と書いている。

 だが、いざ児童手当制度発足となると、児童手当制度の創設そのものに対して懐疑的な見解を表明するようになる。「形だけの児童手当法案」と題する社説(1971.2.23)は、「なぜいま時、このようなみみっちい児童手当制度をつくるのか」「もっと経済大国らしいものにすべきであろう」とその不十分さを指摘する。
 だが、それに留まらず、「われわれは、いま児童手当制度を老人対策より優先させる理由はないと考える」と、制度の発足自体を否定する。

 以後、80年代の『朝日新聞』は、①児童手当よりも老人や障害者を優先すべきであると主張するととともに、②子どもに手当を出すこと自体を批判する。子どもの養育に対する経済的支援を後回しにするだけでなく、児童手当は「カネで子どもを育てる」(お金を使わないでこどもを育てることはできないのだけれど)、「子どもにカネをばらまく」ことだとして(老人にはばらまいてもいいのか?)、児童手当制度自体を否定したのである。

 なぜこうした主張が繰り返されたのか。それは80年代の社会問題が「高齢化社会」であって、少子化ではなかったからだろう。出生率の低下は明らかでも、ほとんど問題にされなかった。
 しかも、子どもは豊かな生活の中で、甘やかされて育っているというイメージが広がっていた。そうした中、『朝日新聞』は、子どもの生活と成長を社会的に保障するという児童手当の理念そのものに、全く理解を示さなかったのである。


1989-2000年】児童手当よりも保育サービス

 出生率の低下が社会問題となる80年代末になると、社説の論調は若干変化し、手当を出すこと自体を否定することはなくなる。だが、一貫してネガティブである。
 89711日の「こどもがどんどん減っていく」という社説は、スウェーデンの充実した児童手当を紹介しつつも、「『児童手当』という限られた手段をつつきまわすことに終わらぬ、幅広い論議を尽くしたい」と述べる。
 901221日の社説は、児童手当、保育所の整備、労働時間の短縮・フレックスタイム導入が、各国に共通する子育て支援の3点セットだと言うが、なぜか児童手当は「最も単純な施策だ」と指摘する。

 これ以後になると、財政上の問題もあって、児童手当の拡大よりも保育園などの両立支援策を進めるべきだと主張するようになる。それは、少子化対策を仕事と家庭の両立支援策=保育サービスの拡充に特化するからである。
 それによって、児童手当に対する評価はよけいに厳しくなる。「同じ額の現金を一律に配るのは、理念に乏しく底の浅い政策」、所得制限の撤廃は「まともな社会保障政策とはいえない」とまで書き、低所得者向けに縮小するよう主張する。こうした論調は、2000年代に入っても続く。


2004年以降】児童手当の思い切った拡大を!
 2001119日の「メディア批評」で、広井良典は「日本の社会保障の大きな特徴のひとつは『子ども』に対する給付が国際的にみて非常に低い点にある」と指摘し、『朝日新聞』の社説が児童手当の拡充に反対したことについて、疑問を感じると述べた。同氏は、その背景として「社会保障の全体ビジョンについての新聞のスタンスが明確でない点がある」と指摘する。

 こうした批判に耳を傾けたからなのか、あるいは出生率の低下が深刻化し、いよいよ人口減少時代に突入するためか、20041129日の社説は従来の主張を一転させる。かつてあれほど高齢者を優先すべきだと言っていたのが、高齢者予算に比べ、子ども関係の予算があまりに少なすぎるとし、児童手当を思い切って仏独並みに拡充したらどうかと言うのである。

 この社説では、これまで児童手当の拡充に反対してきた理由の一つとして、「政党の選挙目当てのばらまきという面がつきまとった」ことを挙げている。実際、『朝日新聞』は、自公政権時代、児童手当の拡充を求める公明党を自民党以上に厳しく批判した。
 だが、「政党の選挙目当て」だから反対というのは、『朝日新聞』もまた児童手当を政争のレベルでしか捉えていないことになる。だからだろう。この社説は財源について、かつて優先すべきだと主張してきた高齢者向けの予算を児童手当に回すと言い、それまで批判してきた年少扶養控除の削減を行なうとも言う。つまり、「社会保障の全体ビジョン」がないのである。だからこそ、『朝日新聞』は、児童手当を政争の中に位置づけ、その意義を認めないできたのではないか。


2009年以降】子ども手当よりも保育サービスを

 『朝日新聞』の社説は、2009年夏の民主党政権発足当時は、「人生前半の社会保障」として、子ども手当の導入に肯定的だった。だが、財源問題や自民党との政権争いが続く中で、次第に論調が次のように変わっていく。これらはいずれも現実的な提案かもしれないが、2004年の方針転換からは大幅に後退している。

①消費税を上げず、財源がない以上、満額(26000円)支給を断念すべきだ。
②現金を配ることに偏りすぎてはいけない。手当よりも保育サービス拡充に力を入れるべきだ。
③所得制限を設けることを検討すべきだ。

 ①の支給金額をどうするかは別としても、②③は子ども手当というものをどう捉えるかにかかわる問題である。『朝日新聞』は、いまだに子ども手当は「子どもにカネをばらまく」ことだと考えているようにすら思える。再び、「手当よりも保育サービスを」に戻ってしまったからである。
 その底流には、子どもの養育に手当を出すこと自体に対して、一貫して根強い抵抗感があるように思われる。手当は、家庭の自由や自主性を尊重しつつ、子どもの養育を社会的に支える制度と言われるのだが。


子ども手当は少子化対策ではない

 こうして見てくると、『朝日新聞』は、今日においても、子どもの養育への手当の意義そのものを、ほとんど認めていないように思われる。
 それは、子どもへの養育への手当を少子化対策の一環に位置づけるからだろう。それによって90年代以降の『朝日新聞』は、制度そのものを否定することはなくなったが、かえって、少子化対策としての「効果」を疑問視し、児童手当の拡充に反対してきた。
 だが、児童手当も子ども手当も、そもそも出生率を上げるための制度ではない。保育サービスも同様である。子ども手当の目的は、「次代の社会を担う子どもの健やかな育ちを支援する」ことにある(子ども手当法第1条)。それに対し、保育サービスは、主に働く親の権利とその子どもの成長を保障する制度である。保育サービスと児童手当は、少子化対策という同じ土俵の上にのせられたが、どちらも出生率を上げるための制度ではなく、しかも、両者はその目的や対象が異なる。
 そうである以上、「子ども手当よりも保育サービスを」という主張は、かなり奇妙な論理ではないだろうか。子どもの育ちを支援する制度(子ども手当)よりも、働く親と子の権利を優先すべき(保育サービス)というのは。二者択一をせまるような問題ではないはずだ。しかも、少子化対策を主眼とする『朝日新聞』の主張は、保育園に通わない子どものことを度外視している。

 

未来を構想する社会保障を

 『朝日新聞』は2004年以降、児童手当の拡充を求めるようになるが、その主な根拠は子どもを育てる家庭に対する公的支援のあまりの少なさである。このことは「社会保障の全体ビジョン」をどう作るかという問題であり、また、そのための財源と税制をどうするのという問題に連なる。児童手当か保育園かとか、所得制限を設けるかどうかといった問題ではないはずだ。

 ちなみに、2008年の児童家庭関係の社会保障給付は3.2兆円で、社会保障給付の3.4%。これには、児童手当等の手当、保育サービス、育児休業給付、出産関係給付などが含まれる。
 一方、同年の高齢者関係の社会保障給付金(年金、医療、介護等)は65.4兆円。社会保障給付全体の69.5%を占める。遺族に対しても6.6兆円が支払われている。

 子ども手当の2011年度の予算は2.1兆円。2009年の児童手当の支給総額1兆円弱に比べ、倍以上に増えた。2008年の児童・家庭関係給付3.2兆円に、2009年の児童手当と2011年の子ども手当の差額1.1兆円を加えると、2011年の子ども・家族関係への給付は、およそ4.4兆円になる。それでも、「未来への投資」と言われる子どもの養育への給付はあまりに少ない。

 なぜ子ども手当ばかりが「ばらまき」なのか。子どもへの投資は「未来への投資」ではないのか。未来を構想するための社会保障制度こそが求められている。


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児童手当と子ども手当
 2009年度 児童手当 決算9956億円
   3歳まで 1万円 3歳以上小学校修了まで 第1子・25000円 第31万円 
 2011年度 子ども手当 当初予算21307億円 中学校修了まで 13000

2008年度の社会保障費 94848億円
 高齢者関係 653597億円 社会保障給付費の695
    年金保険給付費、高齢者医療費、法人福祉サービス給付費、高年齢雇用継続給付費用
 保健医療(高齢者医療を含む) 29521億円 30.9
 児童・家族関係32043億円 3.4
    児童手当等の手当、保育サービス、育児休業給付、出産関係給付 
 遺族    66298億円
 障害    29720億円
 生活保護他 23753億円
 失業    12482億円
 労働災害  9620億円
       国立社会保障・人口問題研究所「平成20年度社会保障給付費」2010.11


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【資料】『朝日新聞』社説 (抜粋)

1980年代】

1980.8.9 福祉と所得制限の強化
そもそもカネで子どもを育てるというふうな考え方には異論もあろう。同じカネを、例えば寝たきり老人対策に回し、社会全体で老人福祉を高めることの必要性を教えた方が、子どもの健全な育成になるのではないか。児童手当は、その存続を含めて、制度の見直しを行うべき事柄であろう。

1980.9.13 何のための児童手当か
そもそも、子どもにカネをばらまくことで、世代間の信頼と連帯を醸成できるのだろうか。後で面倒をみてもらうために、子どもにアメ玉をしゃぶらせることが、子どもの健全な育成になるのだろうか。・・・子どもたちに教えるべきことは、精一杯努力してもなお生活に困難を感じるお年寄りや障害者のために、己れを犠牲にしてでも手を差しのべることであろう。

1984.12.14 福祉の展望をどうひらく
社会の連帯感をはぐくむためにするべきことは、子どもたちに広く、手当を与えることだろうか。それとも、この福祉予算を、自分の力ではどうすることもできない老いや病気や障害に苦しむ人のために重点的に配分することだろうか。


1989-2000年】

1989.7.11 こどもがどんどん減っていく
深刻に語られている高齢社会は「お年寄りの多い社会」であると同時に、実は「若者や子供の少ない社会」のことである。「児童手当」という限られた手段をつつきまわすことに終わらぬ、幅広い論議を尽くしたい。

1990.12.21 子育て支援は3点セットで
子育て中の若いカップルや予備軍にとって、月5000円の児童手当は、どしゃぶりの雨の中で雨靴を渡されたようなものらしい。くれるというならありがたくもらうが、雨はしのげない。欲しいのは、乳児保育、勤務実態にあった保育、安心できる保育だという。保育所は雨の日の傘のように、子育て支援に欠かせない。
日経連が行った「出産と育児のために必要な環境整備」についてのアンケート調査によると、結婚している女性がもっとも強く望んでいるのは保育所で54%、ついで「労働時間短縮やフレックスタイムの導入」で53%、3位が「児童手当など経済的援助」で14%だった。
この3つは、国境を超え、子育て支援の3点セットといわれる。3本柱すべてについてきめ細かい施策を行ってきた国では出生率が上昇している。
児童手当を配るのは、3つの中で最も単純な施策だ。優秀な保育専門職をどう確保するか、子育てのための労働短縮を経営者を説得してどう実現するかにこそ、政府の力量が問われていると思われる。

1999.12.10 拡充は大いに疑問だ 児童手当
国の台所の苦しさを考えれば、いま大事なことはだれにどんな支援をするのが一番効果的か、の吟味や選択だ。それなしに同じ額の現金を一律に配るのは、理念に乏しく底の浅い政策である。
両党(自民・公明)は、財源の確保のため、税の年少扶養控除(16歳未満)の廃止を主張したり、減額を検討したりしている。不足分は、公明党が年金積立金の運用益で、自民党は国債の増発でまかなうという。将来世代にツケを回すやり方だ。
児童手当の増額と引き換えに、将来世代の肩に乗せる財政赤字の荷をさらに重くする。これでは、女性はますます子どもを産みたくなくなってしまうのではないか。子どもだって、そんな国には生まれてきたくはないだろう。

1999.12.16 争点が浮かんできた 国会閉幕
来年度予算編成の焦点となっている児童手当の拡充も、大いに疑問だ。所得制限の撤廃が前提となっており、もはやまともな社会保障政策とはいえない。

1999.12.17 増も減もままならず 税制改正
今回の改正は、いかにも場当たり的だといわざるを得ない。たとえば、16歳未満の子どもを持つ人を対象にした年少扶養控除の減額は、その典型だ。
年少扶養控除は、「子育て支援策」にもなるとして、今年度から子ども一人当たり10万円増額したばかりである。今度はそれを10万円減額し、年38万円に戻す。公明党が強く要求している児童手当拡充の財源に充てるためだ。
私たちは、今回の児童手当拡充案には疑問を呈してきた。財政上の理由に加え、少子化対策というなら、保育所や育児休業制度などの整備が先決と考えるからだ。

2000.5.4 本当にこれでいいのか 児童手当拡大
少子化対策は、子どもを育てやすい環境を総合的に整えることが大事である。保育所や育児休業の充実が欠かせない。カネを配れば子どもが増えるという発想はどうか。
児童手当を支給する子どもが約300人増えるのに対し、扶養控除の縮小で増税の対象となる子どもは差し引き約1600万人いる。とくに中堅所得層に厳しい。

2000.6.7 政党よ逃げるな:2 苦い社会保障像を示す
少子化対策では、今回のような一律の児童手当拡大でなく、子育てに絞った施策が望まれる。ばらまきは改めなければならない。

2000.11.17 なんのための拡大か 児童手当
制度の意義を根本的に見直す時ではないか。少子化対策と位置づけるなら、働く女性のための子育て支援に絞る。現金給付の拡大よりも、育児休業や時間外保育の拡充などに取り組むべきだ。

2000.12.19 拡大は安易に過ぎる 児童手当
保育所待機の児童が増え、保育サービスの充実など、ほかに急がねばならない課題が多い。それなのに、児童手当の支給対象を一律に拡大して財政負担を肥大化させるべきだろうか。少なくとも低所得者向けにするとか、真に子育て支援に役立つものにするなど、政策として焦点を絞る必要がある。


2004年以降】

2004.11.29 少子化:5 児童手当にめりはりを
国と地方を合わせた社会保障給付の70%が高齢者向けだ。児童手当や保育所など児童・家庭向けは4%にすぎない。子育てはすべて自分の責任で、と言わんばかりだ。
(日本の児童手当は)少子化の波にもまれる欧州諸国と比べると、かなり見劣りする制度だ。
日本では児童手当の拡充論が出るたびに、懐疑的な声が上がった。
手当を増やせば、本当に子どもを産みやすくなるのか。保育所や育児休業を充実させるのが先決ではないか。そんな疑問に加え、政党の選挙目当てのばらまきという面がつきまとった。そうしたことから、朝日新聞は社説で安易な拡充には賛成できないと主張してきた。
だが、06年を境に日本の人口は減り始める。出生率はどこまで落ちるかわからない。欧州の経験を見れば、手厚い児童手当が出生率の低下に歯止めの役を果たしているとも思える。
そこで提案したい。思い切って仏独並みに手当を増やし、効果があるかどうかを10年ほどで見極めてみてはどうか。
拡充には資金が必要だ。いまの借金財政を考えれば、まず高齢者向けの予算を児童手当に回すなど、社会保障費の中のやりくりでひねり出すべきだろう。所得税の扶養控除を減らし、増収分を財源にすることも考えられる。

2005.6.5 出生率低迷 産みたいと思う社会を
その(少子化対策の効果が上がっていないこと)大きな原因は、政府が本気で取り組んでこなかったことにある。社会保障の予算は、年金や老人医療など高齢者に70%が振り向けられ、児童手当や育児サービスなど子ども向けには4%しかない。その数字を見ても、少子化対策は掛け声倒れだったことがわかる。
働きながら子育てできるように、保育所を増やすことなどはすぐに手をつけるべきだ。また私たちは、児童手当を思い切って増額し、10年程度をかけてその効果を見ることも提案している。

2008.3.3 希望社会への提言:19「こども特定財源」こそ必要だ
少子化対策は「未来への投資」であると考え、思い切って資金を投入しよう。最初にそう提案したい。
児童手当の充実まで含めて計画を立てると、財源は膨らむに違いない。だが深刻な少子化を考えれば、いま必要なのは道路ではなく、「こども特定財源」ではないのか。そのぐらいの覚悟で、増税を含め財源を手当てしていきたい。


2009年以降】

2009.11.15 子ども手当 公正な制度設計を入念に
政権公約では「子育ての経済的負担を軽減し、安心して子どもが育てられる社会をつくる」とし、中学生までの子どもがいる世帯を対象に10年度は1人当たり月額1万3千円を支給するとした。11年度から倍にして、総額年5.3兆円とする計画だ。
子ども手当の導入に伴い廃止される児童手当は、小学生以下の子どもがいる世帯を対象に年約1兆円が支給されている。うち国費は2700億円で、地方自治体が5700億円、企業が1800億円を負担している。
子どもは、社会の将来を担う宝だ。みんなで守り育てなくてはならない。だが、社会保障費は高齢者に偏り、子育て支援は後手に回ってきた。
子育ての負担を例外なく軽減しようというのなら、所得制限なしの一律支給が筋だろう。どこかで線を引くのは難しいことも考えねばならない。
それにしても巨額の財源が必要である。鳩山政権は所得税や住民税の控除の見直しを検討しているが、将来の消費増税なしに財源を確保することは難しいのではないだろうか。

2009.12.25 子ども手当 本格的制度づくりを急げ
待機児童は、政府が把握しているだけで約25千人、潜在的には100万人もいるとされる。解決に必要な保育所整備については、来年度予算では自公政権時代とたいして変わらない規模の予算しか計上されない見通しだ。
これでは「コンクリートから人へ」という政権公約の基本理念の実現にはなお遠く、少子化に歯止めをかけるような効果も期待できない。
保育の充実も含めた財源とその分担方式を決めてはじめて、「子ども手当」問題は決着する。

2010.3.13 子ども手当 保育所も、財源も考えて
国民の間では、子ども手当への疑問がくすぶっている。その要因の一つは、深刻な保育所不足に手が打てていないという現実だろう。
子どもを保育施設に入れたくても施設不足のためにできない。そのため職場にも復帰できない。経済的にも社会的にも、犠牲は大きい。こんな状況が解消されない限り、政府がいくら「子育てにお金を配ります」といっても、素直に喜べるものではない。
10年度分の支給に必要な23千億円は国債の大増発という借金財政でまかなわれた。満額となれば毎年度5.3兆円が必要だ。その実現には将来の増税をあてるしかない。このことを明確にしない限り、赤字財政をさらにひどくするだけで政策は信頼されない。
だが鳩山首相は消費税増税を封印し、「無駄の削減」でまかなうと繰り返すばかりだ。そこに政権の誠実さを見ることはできない。
いまの子育て世代は、企業が人件費の削減を進めるなかで所得を抑えられてきた。だから、政府が「社会で子育てを支える」という発想で支援に取り組む姿勢それ自体は買いたい。

2010.5.27 子ども手当 満額支給にこだわるな
公約へのこだわりはわかる。だが子ども手当を満額支給するには年間5.4兆円もの財源が必要だ。歳出の無駄を減らしても必要な財源を生み出せる展望が開けない以上、どうしても満額実施をするというのなら、消費税増税を含む税制の抜本改革とセットで考えるのが筋というものだ。
満額支給にこだわるあまり、保育所の整備や医療、福祉などの分野に十分な予算が確保できない。しかも子どもたちの世代に巨額のツケを回す。そんなことになれば、本末転倒だ。
日本の将来のために、子育てや教育をもっと支援したい、という考えは国民が共有している。人生前半の社会保障を充実しようという政策は大いに進めたい。
だからこそ、子どものための政策は、現金を配ることに偏りすぎてはいけないのではあるまいか。

2010.12.7 子ども手当 ドタバタ劇は今年限りに
看板施策なのに、肝心の財源確保が後手に回っているとは。子どもらに恥ずかしくはないか。
現金給付だけでなく、保育サービスなどの現物給付を充実し、子育て支援を強化したい。それには消費税を含む抜本的な税制改革で財源を調達するのが基本だ。その場しのぎの策は、もう限界に達している。

2011.2.15 子ども手当 サービスと一体で語る時
子ども手当にこめられた「子どもの育ちを社会全体で応援する」という理念は大切だ。それは、現物給付を含めた包括的な仕組みを重視する中で、実現していけばよいだろう。
現金と現物のバランスを与野党で議論する枠組みをつくり、大胆な妥協を考えることが必要な局面だ。

2011.3.2 予算案通過 修正こそ民意に応える道
日本が立ち向かわなければならない最大の課題は、少子高齢化である。働く世代が減り、支えられる世代が増えていく。社会保障のほころびはもちろん、経済の停滞も、財政の悪化も、そこに起因するところが小さくない。
であれば、子どもを産みやすい社会をつくり、育ちを支援することが最優先ではないか。民主党は「チルドレンファースト」(子ども第一)という理念まで降ろす必要はない。
自民党案では、子ども手当の代わりに児童手当を復活・拡充するが、子どもへの支援の総額は大きく減る。それを公共事業に振り向けることが、日本の立て直しに役立つとは思えない。
一方で、子ども手当が、子どもを支援する最善の策だとも限るまい。
児童手当のように、豊かな世帯には支給しない仕組みにしてはどうか。手当よりも保育所などのサービス拡充に力を入れるべきだ――。そうした主張には耳を傾けても良いのではないか。